映画「アメイジング・スパイダーマン2」感想

 サム・ライミ版の3と同じく全体的に非常にとっちらかった印象で、わざわざ前三作を無かったことにしてまでリブートした理由はますますわからない。主人公の俳優も相変わらず粗野な見た目で、スパイダーマンというヒーローが抱える苦悩を表現するには不適格だと言わざるを得ない。個人的にサイダーハウス・ルールが大好きなせいもあるが、トビー・マグワイアはピーターの繊細さを表すのにぴったりの配役だったように思う。ヒロインも特に印象に残らない平凡なブロンド不細工で、我らがモンスター女優・キルスティン・ダンスト(ひと睨みで童貞どもを失禁させるあのド迫力!)と比肩するべくもない。

 近年のヒーロー物の常として、本作も現在の世界情勢とリンクして正義と悪の立ち位置を読ませようとするのだが、愛が憎しみに転じる瞬間に少しだけ引きこまれたものの、その後はご存知、いつものアメコミ展開だった。さらに物語の中盤で恋人を追いかけてロンドンに行くことを決意する場面では、正義による救済の恣意性を露呈するに至るが、おそらくロマンス優先の描写でそこに何の批評的視点も含まれていないことが失望へ拍車をかける。特殊な視聴の仕方だとは思うが、たぶん私は、例えばイスラム国の台頭に対する何らかのアンサーを求めていたのだと思う。

 しかし、スパイダーマンの能力を持った兵士が仮に現実に存在したとして、世界は決して救済されないことを皆が知ってしまった。そこへ暴力を解放することを非難されない悪、打倒するべき形のある一個の悪を切実に求めるアメリカ的妄想を形にしたのが、そして、取り除けば確実に世界が良くなる何かというファンタジーを描いたのが、今回のスパイダーマンなのだ。

 「世界の片隅でラジオを聞いている人々」に言及した黒人大統領、それが政治的な覚悟からではなく、スピーチライターの文学的感傷を受けてのものであったことを我々が知った今、米国のブロンドが美麗なCGとスローモーションの果てにひとり死んだところで、観客たちは同情を感じることはないだろう。ある個人に生まれた憎悪が、やがてより大きな場で争いの火種へと転じる。正義の視点を保つ限り不可視の、悪の生じるダイナミズムをこそ描かなければ、彼の国はどんなヒーローを銀幕上で活躍させようと、もはや虚しいばかりである。

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