評伝「栗本薫と中島梓」感想(完全版)

 ぼくにとって太宰治のような、一時期の熱狂がそのまま羞恥ゆえの憎しみに転じ、紐で縛って押入れの奥に放りこんでしまう類の作家だった。放りこむ先が廃品回収や古本屋ではないところが複雑なのだ。創造を生業にする誰かに対する最大の賛辞は、「早く死んで欲しい」だとする文章を読んだことがある。大いに首肯したものだ。己が七転八倒しながら生み出した何かを軽々と飛び越えられる、あるいは己にしかわからない深いところで死ぬほど打ちのめされる、そんな経験をもうさせられなくて済むからだ。欝と加齢とアルコールで短期記憶と長期記憶の連絡が麻痺しているので、きっとすぐにすべて曖昧になってしまうに違いない。だから、いまの気持ちを書きとめておく。

 ぼくは、ショックを受け、悲しみ、そして安堵した。

 没後十年に出版された、まさかの評伝。女史の大ファンを自認する私でさえ知らなかったエピソードも多く、ゴシップ的な興味は大いに満たされたが、本人が生きていたら大激怒で原稿を引き裂くだろう記述も多い。

 氏の著作の三分の二ぐらいは読んでいると思うが(本棚を見たらグイン・サーガは最終巻を除けば、92巻まで購入していた)、書かれたすべての作品を読み尽くすまで、彼女は生き続けるのではないかとどこかで信じていた。死去の報にもほとんど動揺しなかったのに、本人が生きていれば絶対に出版を許さなかっただろうこの本が私の手元にある事実に、もう栗本薫はこの世にいないのだと改めて思い知らされて、涙が出た。二度目の追悼をこめて、彼女の著作を読み返すことに週末を捧げようと思う。

 『父と母と××とのゆるしの三位一体から、私はいつもひとり拒まれてある』。

 薄暗い室内で窓の外の雨音を聞きながら、横座りの萩尾望都作画少女が栗本薫の過去作品を読んでいる。「翼あるもの」「朝日のあたる家」「ハード・ラック・ウーマン」などの初期作品に目を通し、その天才性と深い共感力にはらはらと落涙する。それから少女は女史の円熟を知るために、代表作であるグイン・サーガの後期巻へと手を伸ばした。

 読み進むにつれ、少女の眉間に刻まれた皺はみるみる深くなっていく――ウオァァアーーッ!! 突然の絶叫とともに、少女は板垣恵介作画に変じた上腕二頭筋で文庫をまっぷたつにしたかと思うと、ビリビリに引き裂いた。

 12、3年前の気持ちを思い出したところで、追悼おしまい。

 久しぶりに栗本薫の過去作品を読み返す中で、初期作品である「弥勒」の文体が、女史の晩年のそれにソックリなことを発見して驚いた。感情にまかせて校正なしに書きなぐってあり、同じ内容の繰り返しに眠くなって本を閉じようとするも、ふいに現れる鋭い言い回しにハッと目を覚まされる感じ。そしてまた、同じ内容がグダグダの悪文で繰り返されていく、というアレ。

 この作品が書かれた時期は、女史がまだ二十代半ばの頃である。晩年の、言葉は悪いが劣化具合は、才能の枯渇などではなく、理性による感情の抑制が効かなくなったゆえかもしれないことに思い至った。評伝に語られる「いったん怒りはじめると何時間も止まらず、あるとき目の焦点が自分を通り越して別のところにあるのに気づいてゾッとした」という内容(秘密にしておいてやれよな……)とも符号する。小説に関して周囲の指摘はいっさい聞き入れなかったというから、いったん自制を失えば、「弥勒」の文体が彼女の生来だったということだろう。

 ここまで書いて思い出したが、栗本薫をリアルタイムで追いかけなくなったのは、少年愛に関する文章の中でスラムダンクをサッカー漫画だと断言しているのを読んだことがきっかけだった。怒りに満ちた焦点の合わない目で、編集者のおずおずとした指摘に「ママイキ!」と口角泡とばす場面を想像すると、苦しくなってきた。

 そういえば、小説道場でも「編集者風情が人様の文章を校正してんじゃねーよ。だれにでも間違う権利があんだよ。次に同じことをしやがったら、もうオマエんとこには書かねーからな」みたいなことを言っていたな……そうやって協力者だった人たちを敵に回していったんだろうな……。

 とはいえ、御大の文体とふるまいに多大な影響を受けているnWoも、人のことはまったく言えないのである。「無視もしにくいが、関わるとめんどくさい。黙って放っておけば、いずれその性格の難から自滅して消えるだろう」といった態度を取られている現状へ、御大の「私は文壇から無視されている」発言をオーバーラップさせて、いまさら身につまされている次第である。

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