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ちいさなお話し会のこと

毎月1回、ゲストをお呼びしてちいさなお話し会を開催すると決めた。初回は三輪舎の代表、中岡祐介さんしかいないと決めていた。去年、ここで校正者の牟田都子さんと共に、お話し会を開いてくれた。素晴らしい時間だった。そのきっかけをくれた人だからだ。

中岡さんのお話し会は、とても中岡さんらしく、いたるところに優しさが散りばめられていた。そのおかげで、わたしもわたしらしくいられた。笑いと真面目が入り混じる、あたたかな時間。参加してくれた友人達からも、「楽しかったー」と感想のメールがいくつも届いた。

ひとりだけ、気になった人がいる。
中岡さんだ。帰り際、「ほんとうにありがとうございました」と頭を下げて去っていった中岡さんの背中は寂しそうで、恥ずかしそうで、ちいさく見えた。「つまらなかったのかな、あんなに楽しそうだったけど」と、一瞬気になった。

翌日、わたしは中岡さんに、友人達がくれた感想をメールで伝えた。そして、わたし自身の言葉を添えた。

「わたしのはなしはおもしろい!」と思っている人がいたとして、もし中岡さんがそういう人だったら、きっと声を掛けていなかっただろう、と。そういう人がいたとしたら、同じく自信のある聞き手にお任せする、と。つまり、わたしも自信がないし、自分の話がおもしろいなんて思っていません、と。自信はありすぎてもなさすぎてもダメだと、目上の友人がいつか言っていたことも書いた。だから、きっとこのくらいでちょうどいいはずですよとエールを送った。中岡さんと、わたし自身に。

本にまつわる人や、本屋さんは、「お話し会」という文化が根付いているようだ。そのことに気がついたのはほんとうに最近。何故なら、1月の中岡さん、2月の牟田さんを除いて、ゲストの交渉にいくと、たいがいまず引かれる。「いやいや、わたしなんかとても」とか、「わたしは普通だから」など、一様に。でも、あまり傷つかない。引かれて当然だと思う。しかし、同時にあきらめる気もない。だって、あなたの話を聞きたいのだ。それに、楽しい光景が頭に広がっている。わたしには見えているのだ。あとは実現するだけ。

このお話し会を、12回終えたら一冊の本にすると決めたのは、割と最近のこと。それで、iPhoneで録音をしている。本を作ることは後付けとは言え、インタビューじゃだめなのかな? と自問自答したら、心が即答でノーと言った。
わたしは場所がほしい。人が集まる場所が。そこで、face to face で聞きたいと思ったのだ。嘘のない言葉。その瞬間を一緒に過ごしたいと思う人がいればどうぞ、と思っている。それだけ。だから、宣伝はするし、フライヤーもつくるけれど、満席にしたい!とか、ゲストも宣伝して!とか微塵も思っていない。その必要があれば、わたしがやる。サボっているわけではなく、感じる余白や、考える時間、そのすべての決断と自由を相手にまかせたいのだ。
みんな、毎日十分がんばっている。タイミングが合わずに来られない人や、様々な事情で外出が難しい人も、遠方の人も、来年にはきっと、必要があれば本という形で届けることができるはずだ。

場所の運営をする以上、継続は責任。売上は大事。わかっている。でも、木だけをみない。森を見る。わたしは他にもあとふたつ、仕事を掛け持ちしている。それは、奇跡を見るためかもしれない。きれいごと、と言われることがほんとうになるための、実験と挑戦をしている。それに、どの仕事も、自発的ではなく、めぐってきた。だから必要とされる場所で、必要とされることをやっているだけだ。

わたしは、お話し会でお友達をつくりたいわけではない。つながってほしいのだ。誰と? それは、自分自身と。あの人はこう、この人はこう、と右往左往しないで、わたしに耳を澄ましてほしい。
だって、足元を見て。私たちは、誰にも頼らずに、自分の足で立っている。そのことを、当たり前の足元を見つめ直したいと思ったのだ。普通でいい。普通がいい。それは案外難しいことで、誰かの普通が、誰かの力になる。そう信じている。だから、お話し会をやると決めたのだ。そのことを、改めてここに記す。誓いとともに。

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