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仕事ってなんだろう

パタゴニアのリペアで働かせてもらうようになり、3年が過ぎた。当初は3ヶ月の短期で、データ入力のはずだった。きっかけは、パソコンが使えて、多少の縫製の知識もあり、近所に住んでいたわたしに、「面接を受けてみたら?」と声をかけてくれた人がいたのだ。

その頃のわたしは、引き継ぐことになったギャラリーの運営がいよいよはじまり、しかし素人ゆえにノープラン、「企画展ってなんですか?」みたいな人が、果たして場所をまわしていけるのか、金銭面のことももちろん、取り巻く状況は不安な要素しか見当たらなかった。そんな訳で「バイト? 渡りに船だわっっ!」と思って即受けることにしたのだ。
声をかけてくれた人は、その数ヶ月前にギャラリーを引き継ぐことになった話をしていた友人だった。由比ヶ浜にあるクアアイナというハンバーガー屋でランチをしながら、「ここで『アロハー』ってバイトしながら運営を頑張ることになるかもなぁ!」なんて話していたことを、彼女は記憶の片隅に置いていてくれたのかもしれない。人に話す、スピークアウトするとはつまり、こんなふうに何かにつながることもあるのだ。どんなに肩を落とすことがあっても、この日のことを思い出すと、いつもなんだか、腹の底の方からムクムクと力がわく。

短期のデータ入力で入ったはずが、今はたくさんの修理品に囲まれて、日々手を動かしている。今は20代〜50代の方に作業のトレーニングなども任され、日々奮闘中なのだけれど、ふと、人生の巡り合わせ、その不思議を思わずにはいられない。週の前半はリペアマンとして、後半は自営業の仕事と、頭を切り替えながら、どちらも気がつけば3年が経った。
もし、あのとき不安が勝って、ボーンフリーワークスの運営の話を引き受けなかったら、彼女とランチをして「バイトをしなくちゃやばいかも!」なんて話をすることもなかったはずで、リペアの仕事にも縁がなかったと思う。暮らしは変わらず、のんびりと自宅でタイパンツだけ縫っていただろう。その暮らしも悪くはなかったけれど、こどもも3才になり、少し手が離れ、保育園の暮らしにもなれたころ、ふってわいてきたのがギャラリーの話だった。神様が、そろそろ次のフェーズにうつりなさい、と言ったみたいに。

若いころは、好きな仕事や天職、みたいなものをずっと探して、飽きっぽいのも災いして転職をしまくっていたけれど、40歳もすぎた最近は考え方が変わった。仕事とは、続けられるもの、それが誰かの役に立てること、誰かに感謝されるものではないかと。それがもしかしたら向いているものであり、天職なのかもしれない、と思うようになった。
そう考えると、タイパンツの仕事も、ボーンフリーワークスの仕事も、リペアの仕事も、誰かのいつかの笑顔、笑い声が次々と頭に浮かぶ。「この仕事、わたしに向いていないのでは…」と沈み込んでしまうような日も正直あるけれど、最近はもう、自分でそのマイナスのジャッジをするのはやめることにした。誰かと比べて、「わたしは向いていない」と思う瞬間は、頑張っている自分を傷つけるだけだし、反対にもし、誰かと比べて「あの人よりは向いているわ」、なんて思いが少しでもわいたら、それはとても冷たい残酷さを含んだ、むなしい比較だ。
何が向いているのか、なんてもう探さない。そうではなくて、わたしは人からどんなことを必要としてもらえるのか、そんなことを最近ずっと考えている。人から好かれたいのではなく、人のいいところを見つけられる人になりたい。気がついたら、そのことをその人に伝えていきたい。今のわたしをつくってくれたのは、わたしではなく、それを伝えてくれた人がいる気がするからだ。美しい景色を見て、それを美しいと言葉にするように。そんな人に、わたしもなりたい。それはわたしにとって、大切な仕事のひとつでもあると思っている。

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