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告知の日

ダンナ君は何でもモノをボロボロになるまで使う。というか、ボロボロになっても使い続ける。

穴の空いたヨレヨレのアンダーシャツ、壊れて印刷線が途切れるプリンター、古すぎてブレーキペダルがおかしくなった中古車。

いわば魂の乗り物である身体についても多分そんな感じで、我慢の限界が分からず病気が見つかるのが遅れてしまった。

MRIを撮った地域の泌尿器科からの切羽詰まった呼び出しがあり、土砂降りの中、大病院の紹介状を持たされて到着するなりそのまま緊急手術。

私は連絡を受けて動転しつつも仕事を抜けさせてもらい、なんとか電車とタクシーで病院へ向かった。

この日が「生きた心地がしない」の記念すべき(?)第一回目だった。

この時何とまだ入籍後半年、新婚旅行すら行ってない。今から考えると新婚ホヤホヤのホヤホヤだ。

ちなみにダンナ君は当時29歳、私は35歳。

持病もなく、そもそも病院自体が遠い存在だった。

しかも義父が肺癌ステージ4の闘病の最中、まさか自分達にまで癌の魔の手が降りかかってくるとは。

悪夢を見ているような気分で術後の説明に呼ばれて摘出部位を見せられ言われたのは、精巣腫瘍の中の比較的根治しやすいセミノーマではなく、より悪性の強い非セミノーマと考えられるという事。薬が効く確率はぐっと下がる。

この癌は一分一秒を争う癌であるため、一刻も早く抗がん剤治療に移行するべきである事。。

一分一秒を争う、、癌ってそんな病気だったっけ。。

何もかもが衝撃すぎて、天と地がひっくり返ってても気付かなかっただろう。

この日から長い闘病が始まった。

2016年10月初頭の事だった。













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