弱音を吐くこと、支えてもらうこと

今日、溜まりにたまっていた日頃の不安(主に健康上の)を夫に話したら、予想していたものと違う言葉が返ってきてお互いに動揺してしまった。
私はただ愚痴を聞いて欲しかった。弱音を吐いたら否定でも肯定でもなく、ただ聞いて欲しかった。だけど彼はものすごい勢いで怒ってきた。「そんな馬鹿なことを言うな」「悪いほうに考え過ぎだ」と。
夫もまた、私を失うかもしれないという不安と闘っているのかもしれないと思って、ごめん、となった。

ある病気が発覚してから1年半が経つ。一応いまは悪いところを取り除きはしたものの「私は寿命より長く生きないかもしれない(とても短いかもしれない)」という漠然とした、でも根拠がないわけでもないという感じのもやもやとした塊みたいなものが我が家に居座っている。
両親も子どもも友人も職場の人も、みんな気に掛け励ましてくれるけど、やはりいちばんいろんな面で頼っているのは配偶者である夫だ。彼は私に見せないだけでかなり悩んだり苦しんだりしてきた(いる)んだろう。
支えてもらうにもルールみたいなものはある。
私がいつも思う存分不安をぶちまけ、気分や体調のアップタウンをすべて病気のせいにして誰かを振り回していいと言うわけではないのだ。
もしかしたらこの手の不安な気持ちは身内や友人ではなく、他人、その道のプロに頼ったほうがいいのかもしれないと気づいた。
いくら親しくても、その人の人生の持ち分みたいなものを私の不安で奪うことは良くないと思った。

なんだかよくわからない、半分はいつもの日曜のもやもやなのかも。

来週、その道の人と話すことになったので何かが変わるといいな。

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