発達障害の姉とDVの父親①

何がいけなかったのか。

どうして私は今でもくるしんでいるのか。

今苦しんでいる人に伝えたいことを、書いていきます。


毎晩2階で布団を被り、リビングから聞こえる姉の叫び声と、父親の怒鳴り声を聞き続けていた。     私の不眠症はこの時、小学3年生から始まった。

姉は軽度のアスペルガー症候群。小学6年生の時から完全に不登校になり、昔気質の父親は姉を攻め続けた。母親がどんなに庇い説明しても、頭ごなしに怒鳴りつけ、気づけば母も姉も体に傷を作っていた。そう思えば、父は私に甘かった。殴られたことはない。それはきっと成績優秀で反抗もしない父親にとっての【良い子】だったからだろう。

中学受験で進学校の中高一貫校に入り、わたしはそれからも【良い子】を演じ続けた。明るくて、いつも楽しそうで、しっかり喜怒哀楽があって、勉強も出来て、友達関係も問題なく。ちょっとやんちゃだったが、普通の中学生。父親の大好きな【良い子】だった。

姉は歌をこよなく愛していて、小学校の頃から作詞作曲、弾き語り全て行っていた。まぁ、そのおかげで姉は昼夜問わず部屋で大音量で歌っていたので、今尚その弊害ものこっているが、それはまた別の記事で書くことにする。

姉は自分の信念を曲げず、高卒認定を取り音大に入学した。私が高校生に上がる時。そして、その時私の【良い子】は終わった。そして、壊れた。

何故壊れてしまったのか。これは私の主観的な観測だが、心に張りつめていた糸が切れたのだと思う。「お姉ちゃんが大変だから、お母さんにも心配かけないように。お父さんも怒らせないように頑張らなきゃ」そんな気持ちがずっと心のどこかにあった。

けれど、姉が音大に受かり心底嬉しかった、何より安心した。「あぁ、これで良い子をやめられる」糸が切れればあっという間に私は壊れて、気づけば、泣き叫びながら手当り次第家中のものを壁やドアに投げ続けていた。

私の何がいけなかったのか。

家庭環境?それはそうだろう。なかなかにヘビーな家だったと思う。(しっかりとした家庭環境については、また後日記事を書く予定)

でも、私が壊れた1番の理由は『我慢しすぎた』ことだと、今になって思う。辛い時は辛いと、素直に泣けていたら、誰かに言えていたら、こんな風に自分が壊れることは無かったのではないか。残念ながら、私は生真面目で人に弱みを見せたくないタイプの人間だったので、人に辛いと言うことはおろか泣くことさえもしなかった、いや出来なかった。

そもそもきっと私は『自分は辛い』のだと認識していなかった。

だから、私は皆さんに我慢をして欲しくない。例えば仕事が辛くてだんだんと鬱気味になってきた…、そう感じたら、それは自分を守る1歩を踏み出したということ。そういう時は我慢せずにメンタルクリニックなどに行くべきで、絶対に我慢はして欲しくない。

何より、私がこの記事で1番伝えたいことは、自分の痛みに苦しみに哀しみに気づかないことが1番危険だと言うこと。自分の痛みに気づけるようになれば、自然と苦しみは減っていく。減らしていく努力をすることが出来る。気づかぬうちに心を傷つけ続けていたら、誰もが皆壊れる可能性を持っているのだ。

わかりきったことだと思う人もいるだろう。けれど、追い詰められると人は冷静ではいられない。分かっていても、行動できない。そして、だんだんと分からなくなってくる。

そんな人の手助けをしたい。

だから、私は記事を書き続けます。





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