大学生活を振り返って(大学入試編)

お疲れ様です、kotore(ことれ)と申します。

一カ月間、毎日noteを更新することを目標としています。

現在、5日目。

明日から、私は新社会人。
そこで、今日は入会式のリハーサルに参加してきました。

これから新しい環境に適応しようとする中で、今までの自分を振り返りたいと思い、大学4年間についてを備忘記録としてnoteに投稿しました。

拙い文章、そして個人的な感想の列挙となるため、誰の興味を引くこともないでしょう。

けれど、これからの自分のために、文章としてこれまでのことを形に残しておき、何年後になるかわかりませんが、見返したいと思います。

大学入試編

「何とかなる」ことはない

私は第一志望の大学に落ち、現在所属している大学に入学することとなった。

あまり偏差値の高い高校ではなかったが、その中では成績の良いほうで、期末テストで総合一位を取ったこともある。

「一位を取った」ことは私の密かな誇りだった。
また、優等生の皮を被っていた私を、母親や教師、友達はよく褒めてくれていた。

その多くはお世辞だったのかも知れない。
けれど、高校生の頃の私はそうした賛辞を真に受けて「自分は勉強ができる」と勘違いしてしまった。

この勘違いは、自分の読書という趣味を発展させ、後々の大学生活に読解力・文章力という形で活きてくることとなる。

しかし、過度な自信にはそうした良い面があった一方、当然悪い面も存在した。

それは、「大抵のことは何とかなる」という誤った自信を持ってしまったことだ。

何とか「する」ために行動を起こすなら、プライドが高いというだけで済んだのかもしれない。

けれど、私の持っていた何とか「なる」という思考は、行動を起こさないための言い訳に使われていた。

それが最も顕著に表れたのが、センター試験を受けてから第一志望の大学の二次試験を受けるまでの期間である。

最も成績が良かったころはA判定だった第一志望校の判定は、センター試験を受けた際、C判定まで下がっていた。

にもかかわらず、「二分の一の確立で受かる?なら多分大丈夫でしょ。」という根拠のない自信を持ってしまった私は、全く勉強をしなかった。

ゲーム実況となろう小説にふけり、気が付けば試験当日。

おそらく出るだろうと予想できていた問題すらろくに解くことができず、結果は当然不合格だった。

二次試験の結果が返ってきたとき、「ぎりぎりじゃなくて、これくらいの点数だったら諦めもつくよね。」という母親の言葉に、私の膨れ上がったプライドは耐え切れず、強く言い返してしまったことを今でも後悔している。

家族や教師、友人など、今まで自分のことを褒めてくれていた人々に自分の情けなさを知られることが、どうしても耐えられなかったのだ。

今いる大学は、自分のその時点における学力にあった大学だった。

けれど私は自身の現状が受け入れられず、センター出願で入学したことを同じ大学の友人に自慢したりもしてしまった。

そのことについても、今ではひどく反省しており、恥ずかしさで身悶えする思いだ。

私の逃避行動の典型

ここまで大学入試に関する私の失敗について述べてきた。

ここからは、具体的に私がダメな状況に陥った時の行動について取り上げたい。

先の文章で、私は慢心により受験勉強を怠ったように述べてきた。

しかし慢心だけでなく、「不安」もその理由の一つであると、今の私なら理解できる。

期待に応えなければ、有能な自分を示さなければ。

そうした感情が正ではなく、負の方向に向いたとき、私は身動きが取れなくなる。

そして、逃避行動に移るのだ。

受験当時、私の一番の逃避行動はニコニコ動画だったが、現在はそれがYouTubeに置き換わっている。

けれど、見るコンテンツの傾向、果ては実況者まで一緒なのだ。

ちなみに、YouTubeを見ている時でも、正の方向に気持ちが向いている場合もある。

例として、下記に正と負、それぞれの場合に消費するコンテンツを記した。

正の場合
声なし作業用BGM、読んだことのないな漫画や小説(なろう系含む)、本

負の場合
加藤純一、切り抜き動画、なろう小説、読んだことのある漫画


※自分の人生の中でダメな状況にあると感じた時、常に加藤純一さんの配信を見ていたため、お一人だけ個人名で記させていただきました。自分がダメな状況にあるという指標でありながら、配信者の中で最も好きな方でもあります。

このことを踏まえて、自身の行動、そして感情を逐次観察するべきだと考えている。
そして、不安により行動が変化していると気が付いたときは、それを解消するために動き出すべきなのだ。

具体的には、人と会って話す、何も考えずに不安のもとを解消するために行動を起こすといったことが、私にとって重要である。

また、食事への制限を無くすことも短期的には不安を解消させる効果がある。
しかし、不安を解消するために食事量を増やそうとすること自体、私が負の方向に向いている兆候である。

そのため、食欲に歯止めが利かなくなった時点で、すぐさま解決に向けて行動を起こす必要がある。
また、いたずらに食事量を増やすのではなく、食事の質にこだわり、値段を気にせず外食することが望ましい。

体重を減らしたことは、既に私のアイデンティティの一つとなっているため、それを脅かさないように注意したい。

やる気・集中力の持続

正の方向に気持ちが向き、生産的(だと私が思う)行動を行えている状況でも、それが長期的に続くと段々と負の方向へと転換していく。

取り組んでいる物事にもよるが、私がやる気・集中力を持続できる期間は1カ月から3カ月程度である。
例えば、大学2年生の時の簿記、内々定取得後の証券外務員やFP、ITパスポートといった資格勉強に対するモチベーションは、どちらも3カ月程度が限度だった。

また高校や大学で行われたテストについては、1カ月くらいがやる気・集中力を維持できる目安である。
中学生の頃は、もって2週間といったところだったので、その時よりは成長しているといえる。
しかしながら、社会人として働いていくにあたり、今後、更なる集中力の長期的な持続が課題となってくるだろう。

そのためには、達成できなくてもいいから計画を立てる、その計画に適度な休憩を取り入れ、それを順守する、といったことが必要になってくる。
仕事として取り組む事柄については、自身の興味が尽きたから次の物事へ、と都合よく移行できるとは限らないからだ。
そのため、与えられた物事への興味・関心を維持しつつ、自分がより関心のある分野を探る作業も並行して進めていくのが良いだろう。

最近、自分が「文章を書くこと」に一定程度関心があったことに最近気が付いた。
この関心を持続するためにも、上述した方法はもちろん、それ以外の施策を駆使してまずはこのnoteの執筆を続けていきたい。

おわりに

とりあえず、今日はここまで。
明日は飲み会があるので、おそらく帰りが遅くなるはずです。

明日もきちんとnoteを投稿できるでしょうか。
無理はしないように、自分ができる範囲で頑張っていきたいと思います。

以上、kotore(ことれ)でした。

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