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『祝祭と予感』ー私は確かに音を聴いた

恩田陸 『祝祭と予感』 幻冬社 (2019)

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静かだ、と思った。
広がる風景、込み上がる心情、流れる時間……
どの物語の中にも澄み切った静寂があった。
静かな空間では、人は無意識に耳を澄ませる。
気が付くと、文字の中から音を聴こうと耳を澄ませて読んでいる自分がいた。
二つの熟語によるシンプルな題名、贅沢な上下の余白、飾り気の無い素直な言い回し、
そして目を惹くブルーの表紙がより一層その静けさを支えているように思える。
つまるところ、この本の全てが合わさって心地の良い静けさを生み出している、と思った。
その静けさの中に響く音を錯覚するのだからおそろしい。

「祝祭と掃苔」
お恥ずかしい、マサルさん、私も「掃苔」という言葉を亜夜さんから学びました。
コンクール後の穏やかなひと時。音楽の天才が三人ならんで「お墓参り」をしている姿がなんだか不思議な情景だ。
お墓に手を合わせることは、時に自分との対話にもなる。新しい一歩を踏み出すために背中を押してもらうこともある。そんな瞬間を切り取った時間のように感じた。
亜夜とマサルに並んで、塵くんでもなく、風間くんでもなく、「風間塵」なのが、なんかいいな、と思った。

「芍薬と獅子」
おおっ!読みたかったんです!嵯峨さんとナサニエル先生の過去!
出会い方が「ああ、っぽい!」と何故か感嘆してしまった。本当、あの場面で怒鳴りかかる嵯峨さん強し!です。凛々しい印象は少女の頃から変わらないです。
芍薬の着物を「戦闘服」と称する彼女の瞳が見えました。強く、覚悟を決めた眼は美しい。
一度は永遠の愛を誓い、離別を選択し、それでもなお、音楽という「この世界」の前線で生きる二人の関係性。最後の距離感が好きです。

「袈裟と鞦韆」
またもやはじめましての言葉ー!「鞦韆」……ブランコって!
思わず辞書引きました。ちゃんと載ってました。しかも元々は「ぶらここ」と呼んでいたものが「ぶらんこ」に変化したんですね。へえ!音読みは「しゅうせん」
閑話休題。あの「春と修羅」誕生秘話です。コンテスタントにとって難易度高い課題となったあの曲ができるまでにそんな切ない経緯があったとは、とちょっと泣きそうになる。
別の空の下で、それぞれ五線譜を追いかけ続ける音楽家たち。頭の中の音を形にすることに悩み苦しみ、産み出すー音楽音痴な私には、想像を超える世界です。
冬の空気の透明感と一緒に畑の土の匂いを感じる一作でした。

「竪琴と葦笛」
マサルがぐっと好きになってしまう物語でした。
温室育ちの優男かと思いきや、なんと強かなことよ。冷静で周りの状況を読める戦略家なところも、自分の音楽性に向き合う直向きなところも、自由で柔軟な才能も、なんて魅力的なんだ!完全無敵じゃないか!と思ってしまったのである。そしてそれを受け入れて育て上げた師、ナサニエルとのコンビがこんなにも軽妙洒脱だなんて!
最後のベーグル、絶対わざとでしょ。アメリカの街を歩く後ろ姿が眼に浮かぶようでした。

「鈴蘭と階段」
結婚は運と勢いとタイミングとよく聞きますが、まさに今回がそうでしたね。「伴侶」となる楽器への導かれ感がすごい。そこまで悩みに悩んだからこそ、その「運命」がより際立って響いたんだろうなぁ、なんて勝手に思ったり。
「あたし、豆もやしと豚バラの山の前で、こんな大きな決断を迫られてるわけ?」がツボでした。階段での演奏の情景もそうですが、生活感溢れる空間と高尚な芸術の世界が交わるのってなんだか不思議な感覚。ここでは「デモーニッシュ」とはじめまして。「悪魔に魅入られた様子。超自然的。」を意味する言葉。すごいな。美しい飴色の楽器にそんな魔的なものがあるなんて、鈴蘭と一緒であり、ひいては奏さんと一緒なんですね。

「伝説と予感」
タイトルがそのままズバリで、終章にて全てのはじまりのような気持ちで本を閉じることになる。また祝祭へと戻りたくなるように仕掛けられたように思えた。最初と最後だけ2017年初出なんですね。蜜蜂に続いてすぐ。その他4編が2019年。
風間塵とホフマンの出会い。謎に包まれていた二人の過去がほんの少しだけ覗けたような短い物語。「かざまじん、です」の自己紹介を「カザマ・ジン」「jinn」と表記を変えるだけで印象が随分と変化する。精霊、の言葉になんだか彼の魅力が全部詰まっているようで、すごくしっくりきました。


蛇足1「祝祭と掃苔」
ラストシーン、塵くんが、亜夜とマサルの間に追いつくという画が可愛すぎると思いました。
蛇足2「袈裟と鞦韆」
菱沼さんの奥様も絶対に芯の強いひとだと思います。強くてあったかい人。
蛇足3
「音を楽しむ」で「音楽」ーなんて単純かつどこまでも深い名前を与えたもんですね。
蛇足4
自分が購入したのは、発売から10日くらい後だったと思うんですが、すでに2刷でした。はやい。

最後まで読んでくださってありがとうございます。