見出し画像

次世代に残したいもの

親子で知人の田んぼの稲刈りに参加してきた。
手刈りした稲を麻ヒモでまとめて稲架(はさ)掛けする。
または稲刈り機が刈って紐結びまでしてくれた稲を、稲架(はさ)掛けする。
はさ掛けでゆっくりと天日干しで乾燥させた稲は後日脱穀する。
とても時間も手間もかかる作業だ。

隣の田んぼではコンバインが稲刈りをしていた。
広々とした田んぼは30分ほどですっかり丸裸となった。

私は泣きたくなった。
私が一つ一つ手作業で時間をかけて行なっていることをあっという間に終えられて虚しくなったわけでは決してない。
米の悲鳴が聞こえた気がしたのだ。
コンバインは刈り取り、脱穀、選別までが一気に出来るものだ。
米は機械乾燥で三日間高温に晒される。
さっきまで元気に生きていたお米たちの命が一瞬で奪われる姿が浮かんで、泣きたくなった。

私はコンバインを悪く言いたいわけではない。
地主さんと思われる年配のご婦人がコンバインを操作している男性に向かって丁寧に何度も頭を下げていた。
広々とした田んぼをあのご婦人一人で刈ることは決して出来ないだろうし、機械に助けてもらうことは悪いことではない。
広い田んぼを何枚も、何十枚も刈り取らなければいけない農家さんにとってはとても有り難いものなのだということも理解している。

しかしながら、高温乾燥に晒されたお米は残念ながら発芽しない死んだお米になってしまう。
そして市場に出回っているお米の多くが残念ながらこの死んだお米だ。

このことを私も昨年春までは知らなかった。
無農薬の玄米は食べていても、そのお米が天日干しによる乾燥であるかまでは気にしたことはなかった。

しかし私は知ってしまった。
無農薬無化学肥料、そして天日干しのお米は驚くほど美味しい!
まさにいのちをいただく、とはこのことだと思った。
子どもは正直だ。米を変えたら食べる量が劇的に増えた。
うちの子たちはとにかくお米が大好きだ。びっくりするほどによく米を食べる。

美味しいお米を次世代に残したい。
田植えから稲刈り、脱穀までの景色を子どもたちに残したい。
美味しいお米をいただくようになって私は自然にそう思うようになった。

大人が一所懸命に田んぼで働く傍らで小さな方たちは自然と戯れる。
泥んこ遊びをしてみたり虫を追いかけてみたり。
気が向いたら自分にできることでお手伝いもしてみる。
まとめられた稲をウマまで運んだり、お蕎麦屋さん(稲をまとめる麻ヒモを切って届ける係)をやったり。

お昼には皆で持ち寄ったおむすびやおかず、フルーツやお菓子などをお腹いっぱい食べる。

「たんぼたのしかったねー」
「おいしいものいっぱいたべたねー」

子供達にとっての田植えや稲刈りの思い出がそんな心躍るものであって欲しい。
彼らが田んぼにいい思い出を持つならば、次世代のためにタネをつなぐ、いのちをつなぐ人たちになってくれるだろうから。

願わくば‥
私たち消費者が生きたお米を求め、農家の方達と共に田んぼで汗水垂らす喜びを知り次世代につなぎたいと願う人が増えますように。

大人も子供も一緒になって五感で楽しんだ田んぼ仕事がどうか子どもたちが生きていく上での心の栄養となりますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?