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すずめの戸締り

東京は本当に刺激的な街。

最近は縁があって東京に遊びにいくことが多いのだけれど今回の時間もとても濃厚だった。

本当にたくさんの人がいてみんなの宇宙(心の中)が見たくて電車の中でもうずうずしてしまった。「みんな一体何を、誰をいま想っているのかな?」

今回はお友達と数年ぶりの映画館へ行って「すずめの戸締り」を見た。

今までは何気なく見ていた映画だけれど、心の勉強を始めてから思うことは、どれだけの人がその作品に込められた想い「意図」を理解してみているのだろうか、ということ。

と同時に思う事は、そんな事はどうでもいいなってこと。(もちろん作品と作った人の想いは大切だしリスペクトだよ)

だって同じものを見てもみんな感じることって違うんだもん。

だからやっぱり「感情」って「感じる」ってすごく大切なんだと思う。

映画の考察や説明を見て「頭」でその映画を見ることよりも自分が見たものを「どう感じたのか」

大好きな映画を、「今」の私が見て思った事は、日常でも全く同じことが起こっているなということだった。

同じ景色を見ても、みんな思うことが違う。だから正解はやっぱりない。それってどうしようもできないし、どうにかしなくてもいい。だからやり方もルールも常識も「その人のそれぞれの在り方」に当てはめる必要なんてない。

はい、出ました。「みんな違ってみんないい」

「みんな同じ」になる必要なんてない。だってみんな同じ一つの存在なんだもん。だから安心して違っていいの。

さて、長い前置きは置いといて、ここからは、じゃあさちこという名の「私」が映画を見て思った感想文を書きます!ネタバレしたくない人は読まないでね!



うんとね、一言でゆうと「苦しかった」

それはなぜか、
「大切なものを失うことは怖いこと」と過去の経験から植え付けられた「幻の不安と恐れ」を覚えている私がいたから。

普段はなるべく「こころ」をゼロベースに置いている私もこういった類の「心を揺さぶる系」を見ちゃうと、あれよあれよと引っ張られる。でもそれが大事。私の知らない私を見つけられるから。

草太「命がかりそめだとは知っています。死は常に隣り合わせにあると分かっています。それでもいま一年、いま一日、いまもう一時だけでも私たちは永らえたい」
新海誠本2

大切なものができるときっとこんなことを思うんだと思う。「この人のいる世界をもう少しだけ見ていたい」「大切なこの子達を守るために頑張って生きる」

私には「それ」がないと“思い込んで”きたから、ある意味とても平和な生活を送れていた。「いつだって死んでいいよ」と思ってきた。これは全然ネガティブじゃなくてそれが自然の摂理だし、それが私の描いてきた世界なら何にも怖くなんてない。そう思ってきた。

そんな私は、自己内観をし続けて、今年は私も信頼できるカウンセラーさんを見つけて、他者からの視点もいれて、生まれた瞬間のインナーチャイルドまで癒しきったところで「心から生きたい」と決意が固まって、ずっとここにあった「大切な宝物」に改めて気がついたこのタイミングにこの映画を見てしまった。

そんなタイミングでこれを見てしまったもんだから、「押し寄せる恐怖」を感じてしまった。

「え、生きるって、大切な人が増えていくって、こわ。」

「生きたい」なんてやっぱり思うもんじゃないじゃん・・・。

今思えば神様からのお試しだったんだと思う。

いつも何かを決意したらやってくる「ほんとうに?」の時間。

突然、心の中がざわついてしまった。そしたらそんな時に限ってお父さんからの着信が・・。

実家でコロナフィーバーが起こっていること、母親もコロナにかかったと聞かされていた。だから胸騒ぎがした。急いでかけ直すと父が言った。

「あんまりよくない知らせなんだけど・・・。」

父が前にこのセリフを言って電話をかけてきたのは私の大切にしていた猫が死んでしまった時だった。だから心臓が止まるかと思った。

「それで?!」

「うん、お母さんがコロナにかかって・・寂しくて遠くのお前に電話した」

・・・

「やめてよ」と全力で思った笑

安堵とお父さんの声が嬉しくて泣きそうになった。

そんな父は何も恐れることなく母を愛している。ずっとずっと想い続けている。それが本当にかっこいいんだ。「お前たちのために俺は生きる」と何十年と聞かされてきた。それが辛くなる時ももちろんあった。でもそんな父の愛を私はいま存分に受け入れることができている。

そして父はやっぱり我慢できなくて、何度も隔離された母の様子を見にいくたびに散々母に怒られた結果、自分も陽性になったという事を母が今日教えてくれた笑

失うって怖い。本当に怖い。でもいろんな経験をして、そのおかげでわかった「自分の大切なもの」がある。

「私」の本当に大切なものを大切に「生きる」覚悟を持った人はやっぱりかっこいいし、守りたいものがあるっていいのかもしれない。

健全な心の自立をするために、誰にも依存しないし、依存されないようにってゆう振る舞いをしているつもりだった。(もちろんそこに愛は持って)

でもそれもどこかで「怖いから」していたということに、そして純度100%の愛ではなかったことにこの映画を見て気付かされた。

そんなのは私の在りたい姿じゃない。今目の前にないものに、何も恐れなくていいし、「心のままに」「心そのままに」生きていい。

だって宇宙は間違えないから。私という存在がここに生きていること、それが宇宙からの全肯定なんだと思う。

ちゃんと生きなきゃとか、死にたいなんて思ったらダメとか、誰かのために生きたいとか生きるとかもない。

「私たちは生きている」ただそれだけだった。

だからみんなに伝えたいのは(いつものはじまります)

「同じ時代に生きていてくれてありがとう」

みんなも映画見て何を感じたのか教えてね!

愛を込めて/Sachiko

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