同調現象により個性が薄れる可能性
同調現象は自分の考えを周囲の人間に合わせることを言います。
自分は~と思うけど、皆がそう言うのであれば…。と周囲に意見を合わせた経験が必ずあったのではないでしょうか。
日本語には「出る杭は打たれる」ということわざがあるくらい、周囲と違った考えをすることで周囲から冷たい眼差しで見られると感じる人も多いです。
もちろん周囲と合わせるという協調性は社会生活において必要不可欠ですが、同調現象(以下、同調)が働き過ぎることによって個性が失われてしまう懸念点があるのではないでしょうか。
どの場面で同調が生じる?
同調しやすい具体的場面として以下のような場面があります。
スマートフォンのシェア率
流行りのアパレル
スタジアムのゴミ拾い
トイレットペーパーの買い溜め
同調と反同調は悪いことではない
他の人と同じことをするのは社会通念上正しい行動であればプラスな行動として認識されます。
むしろ同調を中心として生活が送られていると言っても過言ではありません。
逆に反同調の場合は協調性がないと言われることもありますが、反同調が必ずしも悪いわけではありません。
同調、反同調がバランスよく織り交ぜ合いながら社会が成り立っています。
同調の懸念点
タイトルにもあるように個性が薄れる可能性の懸念。
周囲に同調することは自身が納得しているのであれば構いません。
しかし「あの時〜しておけば」と歯痒い気持ちが増すと心的負荷が掛かります。
一方反同調ばかりでは組織としては成り立たず崩壊します。
しかし、組織の一員として働いてる人たちは必ず自身の考えがあり、少なからず不満を抱え、固唾を呑んで我慢しながら働く。それが結果としてストレス社会へと繋がっていきます。
そのような社会で周囲と異なる発言をする人に対し冷たい眼差しで見られる風潮は常に存在し、それを回避するために同調することも多いです。
その結果自身の意に反することを、続けてしまう結果自身の元々有している個性が社会の中で薄れていきます。
唯一、自分らしさを表現できる場所として自宅や家族、親密のある友人のいる環境であり、その環境だからこそ個性出せるということです。
どのような人にも自分らしさがあります。同調することは社会では必要です。しかし、同調し過ぎることは過剰な心的負荷が掛かります。
負荷が掛かり過ぎた時に言われるの言葉として「好きなことで息抜きしましょう」と言われることがあります。
つまり個性を抑えることは自身の健康面に関しても影響を与えかねるものです。
同調せざるを得ない社会環境かもしれませんが、個性を表面化することが自己防衛の手段として必要であると述べたところで今回は終わりにしようかと思います。
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