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悪口を言うときの心得

ある日、私の母が突然言った。

「私は今まで、愚痴や悪口は自分を不幸にすると思って、言わなかった。そんな暇があるなら、他にやるべきことがあると思ったし。でも、今思うと、そんなのは何の意味もなかった。もっと愚痴や悪口を言えばよかった、と思うの」

驚いたけど、母の顔は真剣そのものだった。

「愚痴や悪口は自分を不幸にすると思ったけど、言わずに我慢し続けるってことはネ、自分の手で自分の心を圧迫して、抑え込んでるってことよ。確かに、表面上はいい人間にはなるかもね。でも、それで本当に幸せなのかと疑問なの」

世間では、愚痴や悪口を言わない、それがスタンダードだったし、今もきっとそうだろう。

「世間に合わせたってねぇ。世間はこちらには絶対に合わせてくれないのにねぇ。不思議だよね。いい人間になるために、幸せになるために、自分の中にある気持ちを”いい””悪い”で分けて、悪いの方はなかったことにするんでしょ? 世間も他人も、自分すらも、自分の気持ちを無視するなんてね。滑稽だわ、なんだか」

なんか、とてつもなく鋭いことを言うな、と感心したのだ。確かに私も、愚痴や悪口は良くないと知りつつも、封じ込めるように言わないというのは、なんだか違和感。

「我慢したってね、蓄積されるだけ。余計な荷物が増えるだけなのよ。だからちゃんと悪口や愚痴は、発散しないといけない。私はそう思うわ!」

母は、悪口や愚痴を言わずに生きてきたことを、後悔しているという。言いたいこと、不満に思っていることを「不満に思う」と口にするだけで、気分は晴れるのだ、と。この「気分は晴れる」が大切なのだと力説してくれた。

「だからアンタも、ちゃんと発散しなさい。いい人間になっても、楽しくはないわよ。一度かぶった”いい人仮面”をはずすのは、大変だから。愚痴や悪口は、発散するに限ると私は思うわ」

母なりに考えて、気持ちよく愚痴や悪口を言う心得を編み出したらしい。

1)悪口や愚痴を発散する時は、相手と場所を吟味する
2)深刻に、グチグチ言うと、相手に負荷がかかるので、笑い話にする
3)発散するために言うので、同じことを二度言わない
4)自分が悪口や愚痴を言うのだから、誰かから自分のことを悪く言われても、因果応報であり文句を言える立場にないと覚悟しておく
5)悪口や愚痴を聞いてくれている相手が楽しそうか、笑っているか、よく確認する

「悪口や愚痴を聞いてもらうってことは、相手の時間を奪ってるってことだから。せめて楽しい時間にしないとね」

そんなわけで、母は65歳から悪口や愚痴を言うようになり、今ではすっかり毒舌おばあちゃんに変身した。

「悪口言ってるのに、悪口に聞こえなくて、つい笑っちゃうから、あなたは得ねぇ」

と、近所のお茶飲み友達に褒められる?らしい。

悪口や愚痴は、出来れば言わない方がいいのはそうだろう。

一方で、悪口のタネとなる不満や怒りは何かと悪者にされがちで、「なかったこと」「感じなかったこと」にされがちだ。そう感じることにさえ、罪悪感や劣等感を覚える人もいるのではないだろうか?

しかし、感じなかったわけではないのだ。すでに感じていて、それを気づかなかったことにしたり、なかったことにしているだけ。

という、このどうしようもない事実があるなら。

思い切って発散するのも、いいのではないだろうか?と、私は思っている。

もちろん、心得をしっかりと自分に言い聞かせて、だけど。




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