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「運がいい」っていうことばの背景

「私、本当に運がよくて。
 いまこの会社にいるのも、
 ほとんど運のおかげだと思ってるんです。
 マジで人に恵まれてきました」

って会社の方がお話をされていて。
わかるーーーーー!!!
ってなったのですが。

飲み会でその方が同じように話されていたときに
「いやいや、運だけじゃないですって」
「運もあるかもしれませんが、◯◯さんだからですよ」
って受け答えしている人がいてね。


あのさ。
いや、うん。

そんなこと、わかってるんだよ。
それも踏まえて「運がいい」って話なんだよ。


って思いました。
言語化します。

▼「運がいい」っていうことばの背景

私の持論ですが。
例えば、能力を上げるとか
人脈を広げていくとか
テストの点数を上げる
っていうのって「自分の行動力」でなんとかなる分野だと思っているんです。もちろんそれに見合っただけの行動力と努力が必要だとも思っていますよ。

なんだけど。
「運」っていうのはさ、
その努力だけじゃどうにもならない博打的なもの、
神様から与えてもらえる、人それぞれによってのもの。
だと思うの。

だけど一方で。
「その人の人格っていうものが大前提で生まれるもの」が
「運」でもある、と私は思っているんです。

そもそも。
「運がいい」って思えるかどうかって。
まず、その人自身がポジティブに物事を見ることができているかなんじゃないか。
客観的に見る、っていう言い換えでも可。

「何か」が起きたとき。

何かのメッセージなのかなと思って受けとる。
ご縁の始まりかもしれないと前向きに捉える。
私へのサインかもしれないと読み取る。
などなど、前向きに捉えることもできれば。

あぁ、ついてないなと愚痴る材料にする。
また私ばっかり損するんだなと思い込む。
嫌な出来事だったなと胸に刻む。
などなど、後ろ向きに捉えることだってできる。

運がいい=ラッキーだと思えるのって
普段からポジティブに物事を見ているっていう
大前提がある。
いや、ポジティブでなくてもいいんだけど、
多角的に見えるっていう感じ。
そして、人格者でもある。
「誰か」を非難するとか否定するとかではなく
「物事」に対して目を向けるから、
基本「嫌いって思う人」は少ない人なんじゃないか。
(自動的に視野にいれないとかね笑)

そうやって自分のバランスをちゃんと自分で取れている人だからこそ、
「自分は運がいい」
「ついている」
「周りの人に生かされている」
「いい人に巡り会うことができている」
っていう、目に見えない
運の良さについてちゃんと感動できるし、
それを言葉にできる人が「運のいい人」なんだって思っている。

だからさ。
私が口にする「運がいい」っていうのは
ただの運だけを褒めてるわけじゃないの。

その「運が味方したいって思えるだけの人格者だし、運という名前の周りの人がサポートしたいって思えるだけ、行動に移してきた人」なんだって思って口にしてるのよ。

「運だけがいい人」
なんて思ってないのよ。

いじょうー。



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