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運とは


運とはどういうものだろう?

どういうものだろう?というのは具体的に言うとどういう仕組みでどういう性質があるのか?と言った内容である。

分析してみよう。

まず、運の良し悪しの視点から。

この運には良い悪いという状態があるらしい。

ここで分かることがある。

それは運とは一定ではないこと。

運とは変化するもののようだ。

ではその変化はどのように変化するのか?

変化と言っても種類がある。

一つ。決まった変化。

心臓の鼓動のようにある一定のリズム・法則を崩さず変化する形。

もう一つ。本当に規則性も何もない変化。

変化というよりただの乱雑と評した方が早いか。

運とはこの二種類の内どちらの変化に属するのだろう?

その前に、運の良し悪しの主観の視点についても考えてみよう。

この点についてはかなり疑わしい面がある。

つまり、運とは主観による面がとても大きな割合を占めるように思うのだ。

何故なら、良し悪しの基準は絶対ではないし、そもそも運という存在自体が本当に有るのかすら疑わしい。

しかし、この運という存在を完全に否定することも出来ないのが現実だ。

何故ならそもそも運とは何か?という問題があるからだ。

何かも分からない。

何にも分かっていないものなのか存在なのか分からない現象なのか事象なのかを否定するというのはとても骨が折れる。

それに、こうした言葉が出来る程度には人間の共通認識には影響を与えている。

この点は見逃してしまいそうな些末な点かもしれないが、重要な点だと私は考えている。

ここまで書いてきたが、運とはどういうものだろう?ということについてはまだ何もわかっていない。

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