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大化の改新

大和魂を蘇らせる🔥氷神です今回は日本の歴史の大きな分岐点である『大化の改新』についての記事を書きましたので是非ご覧ください!YouTubeでの動画解説もアップしてますのでこちらもリンク貼っておきます↓

今回の記事化したものも、是非最後までお読みいただけると嬉しいです✨



では!解説していきましょう!大化の改新の影響は、現在の我々日本人はすごく受けてるんです。

天智天皇のご時世に行われたのですが、天智天皇と最終的になられたんですが、その天智天皇がまだ中大兄皇子時代に皇子の時代に、大化の改新を実行しているのです、天皇が政治するわけじゃなくて、政治をしないののが天皇のですから、天皇になる前に大きな改革をしてすぐ改革を成し遂げて、

天智天皇


天智天皇になられたという風な流れになるのですが、この影響はものすごく大きいのです。我々には今名字がありますが、そのほとんどが漢字二文字です、日本の地名や苗字がほとんど漢字二文字なのは、実はこの天智天皇の若かりし頃に中大兄皇子時代に、天智天皇がご指示された影響なんです。

公地公民制を引くんですが全国の頭が戸籍それから土地の台帳を揃える時に、「すべての土地は漢字2文字で表示しなさい!」っていう命令が出るのですが、そのおかげで今は我々漢字ニ文字の苗字がほとんどになったのです。

ではその大化の改新は一体どういったものだったのかを解説していきましょう。


遣隋使遣唐使の復活により聖徳太子の没後、蘇我氏が再び財力を転じて権利を持ち始めました。

蘇我入鹿

蘇我氏は元々仏教の彫刻などを作ってた一族ですが、当時仏教がどんどん広がってくることによって仏教の寺院がたくさん建てられます、そうすると仕事の依頼が沢山きます、小さな多宝塔ですら高額になったりするわけです、その結果巨額の財力を手にするわけです。

一族の長である蘇我蝦夷は天皇の御所のような宮殿建て、自らを御門(みかど)と呼ばせました、さらに築造した古墳を陵と呼ばせました、陵というのは天皇の古墳のみ使われる言葉であるのに、それを自分が入る墓も陵と言うといい始めました。


すなわち天皇存在無視して自分がこれからの天皇である!みたいなことを言い始めたわけです、さらに民達は聖徳太子の子である山背大兄王に、皇位を継承してもらおうと考えていました、



それを自分が権利を得る為に蘇我蝦夷はを襲撃します!天皇を中心とした国づくりの路線に行きたかったのですが、そうなると夷俘が政治権力を持てなくなるのでと山背大兄王子の攻めるわけです。


この時に攻めて来た蝦夷達に向かって山背大兄王子がこの様におっしゃいました


山背大兄王子


「私がもし兵を率いて、戦えばその戦いでまた多くの国民の命が奪われよう。私一人が死んで国がまとまるならそれを男子の道であろう」

とこうおっしゃって山背大兄王子は自害されたのです

そして一族の人たちも後を追って皆自害されてしまうのです、これによってここ聖徳太子の子孫の血筋が絶えてしまったのです。

結果として蘇我氏っていうのはなお一双権力強化していきま、するとその蘇我夷俘の考え方っていうのはと言えば自分が中心であるというもの!

民衆も何もかもすべては俺の物だと!しかし日本に古くある国はシラス国です、天皇が民衆をおおみたからとし、それを支えるのは真の役割なのです。

権威と権力の両方もってしまうと中国の皇帝と同じものがないわけです。これはいけないということで武器を持って戦ったのが実は若き日の天智天皇という事になります。


この時に二つの選択肢が委ねられます!

一つ目は、「国がまとまりなら、蘇我氏中心でも構わない。蘇我氏と戦えば、山瀬大兄王子が自害した意味がなくなってしまう」


二つ目は、「蘇我氏は断固倒すべきである蘇我氏の横暴許せばやがて第2第3の権力者が現れその度に戦いが繰り返されることになるであろう」

という選択肢が委ねられたのですが、皆さんならどちらの選択肢を取りますか?是非お考えの上で心の中で答えを決めて見てください。






皆さん答えが出たでしょうか?ではこの時代の人達は出したか!答えは後者の二つ目の蘇我氏と戦う選択肢を取ります!この選択肢においてと大切なことは何かというと、力を持った者は時の権力担っていますが、その力によって押さえつけられた者達がまた武器を持って立ち上がる、そしてまた権力が交代する権力が交代するたびに常に武力闘争が起こりその度にに多く血が流れるという結果を招いてしまいます。

そうならない為に遥か古事記の神代の昔から
天皇という経緯を中心に国づくりをしようというのが日本の形だったのです!その形を必ず取り戻さないといけない!その時に断固武器を持って立ち上がる!この選択を取られるわけです、ということになるわけです!

そしてこの有名な絵がありますが、



これが乙巳の変を描いたものです、ここで刀を振っているのが中大兄皇なんですが、真ん中に写っていて倒れて首をはねられ、殺害されたのが蘇我入鹿ということになります


これすごい決断だったと思われます!
今の日本ですと、権力を持った人に対してヘコヘコと頭を下げて権力者は財力を持っているので、そこにこうぶら下がればお金をもらえるのもしれ
ない!生活も楽なのかもしれない!

そんなものよりも民が幸せに生きるできる事が
できる世の中っていうものを守り抜こうとしたという、この時にこの選択を対して乙巳の変が、起こったというそういう事じゃないかなと思います!


この後に大化の改新という一連の大改革が断交される そのの1つが冒頭にお話しました、戸籍の制度を正しくするこれ公地公民制です、この時にすべての民衆は奴隷がいなくなり、すべての民衆がまさにを「おおみたから」ということはもう奴隷という存在は認められないという事になりました。



日本人の名字もそれまではの4文字の名字とかか、苗字だけでも7文字ぐらいあたりしたのですが、ここで漢字二文字に統一される全国の地名も二文字に統一されるということになっていったのです。

そして国軍を制定し班田収授の方で戸籍ができ、て税制の改革が行われそれまで作られていた、大きな古墳なども作ることが禁じられました。

そしてその影響は現代まで残っているということです、大化の改新心の精神とていうのは現代の我々も見習って考えていかないといけないとかもしれません、どうしても勝つ方大きな方に就こうとするのが、人の情というか常になります。何が民衆に取って幸せなのか、国にとっていいのかっていうことを考え続けるという事が国民やもしくは政治や国のトップのあるべき姿のなのではないでしょうか?


この様な歴史のも事実から、学んで行くことが必要なのではないでしょうか?目の前の利益か?民衆の幸せか?この選択っていうのは大きいと思います!
我々国民も権力者もしっかりと考えるべき事だと思います。


いかがだったでしょうか?ちなみにこの時代に天智天皇の大きく影響与えたものがあります、それは日本人って時間に正確ですよね?

それは、天智天皇の時代に水時計を日本に導入されます、この水時計のレプリカが滋賀県の近江神宮にあるんですが、

この時計によって時間を計って2時間ごとに鐘を鳴らすその鐘を音がが全国で広がる事で日本人が同じ時間を共有するということが生まれたわけです。

それ以前は大体、お天道様の位置によってこと開始や休憩時間をを決めたりしていたそうです、日本人が時間に正確なのは実はこう大化の改新から、ずっと現在までに至る歴史があるのです

最後までお読みいただきありがとうございます。

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