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直観リーディングに信ぴょう性はあるだろうか。

自分が授かった力を人のために使えないかと始めた直観リーディング

自分を許し、癒し、自分であることを喜び、この一生をうんと楽しむために、わたしに何ができるだろうか。ただ過去生を見るだけで、その人の希望になるのだろうか、そんな自問自答を何度しただろう。

それでもリーディングをするたび、その人がもつ魂の輝き、美しさに触れ、わたしの希望にもなる。

でさ、表題の「信ぴょう性」について。
もはやどうだろう。こればっかりは確かめようがないからな。
伝える側のわたしはとにかく自分であれやこれや考えず、自分自身が媒体としてどれほど感じた振動のまま依頼者に伝えるかどうか。そして依頼者は伝えられた言葉や振動に実感があるかどうかでしか図れないと思っている。

依頼者によって伝え方や表現は様々。
どちらかというとその依頼者が一番理解しやすい受け取りやすいものになっているようだ。(とにかくわたしは媒体なので、表現した後依頼者と同じようにその内容に驚いたり、感激したり、苦しくなったりする)

普段のリーディングでは依頼者の優位な感覚機能で観ることができる。まるで映画やアトラクションの中にいる感じ。

視覚優位な人は高画質の写真や動画を見ているよう。
聴覚優位な人は繊細な雨音から迫力ある銃弾までまるで高音質なサラウンドスピーカーがあるかのような臨場感あふれている。
嗅覚優位な人はにおいがリアル。小型の機械のにおいからそれが縫製工場のものだとか、雨上がりなのかなど、情報を読み解くことがある。
触覚優位な人は寒いとか熱いなどその場所がどんな環境なのかを読み解くカギとなったり、火事や火あぶりにあったときに自分の皮膚が焼かれていく感覚を私自身もうっかり体験してしまうこともある。
味覚優位な人にはあまり出会うことはなく(食事中というシチュエーションをリーディングする機会があったらどんな感じだろう)、どちらかというと喉が渇きでどんな状況にいるのかを読み解くことはある。

感覚機能とリーディング

文字で書くとなんだかドラマティックな感じになるけど、状況を理解するための手立てとして五感で感じたことはそのままお伝えしている。

それより大切にしていることは、その状況下の感情と思考。とくにどんな感情が湧き、どんな思考があり、どんな行動に至ったかというプロセスを観察している。心残りなのか、すっきりしているのか、穏やかなのか、恐怖でいっぱいなのか。

ということで、わたしのリーディングは現在のエネルギー(チャクラ)の状態から過去生の状況、思考、感情に至るところまで時間のある限り観察している。

リーディングをすることで、その人の情報の捉え方や価値観、個性、表現方法などを知ることができるので、わたしはその人のことがほんのわずかな時間で好きになる。また本来の魂が持つ個性とおりではない人にはどのような態度や行動をとることで本質が輝くかをアドバイスしている。

依頼者が自身の心の声に従って、ちょっとだけ勇気を出して実行するよう、励まし、応援しているに過ぎないのだ。

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