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はじめから愛してた~魂のパートナーシップ

今月も後半は居住区である福岡を飛び出て、旅するように仕事をしている、私と魂のパートナー、片割れヒロキ。

毎月、各地同じホテルだから「ただいま~」という感覚になるほど馴染み、心地よく暮らすように過ごしてる。

外食も飽きるし、身体の調子も整いにくいので、出張中も自炊。小さな電気鍋持参で、焼き肉&キャベツを丸ごと(袋からちぎりながら)とか、鶏手元入りおでんとワインとか、夏だとソーメンと鶏ハムなんてのも食べたな。

元夫との離婚から数ヶ月は同居するも(末っ子の意思もあり)、ヒロキとの関係を明らかにすることで完全に別居してから半年が経つ。

子どもたちからは折に触れてLINEでメッセージのやり取りや、職場に訪れたりと交流は続けている。先日夕飯を届けたところ「お父さんが作ってるから大丈夫だよ」と伝えられた。
最初はとても寂しくも感じたが、元夫が結婚前よく料理本を手にご飯を作っていたことを思い出し、嬉しくなった。もう妻としても母としてもこの家族とは関係を持つことはなくなった。ただひとりの人間として子どもたちの成長と元夫の幸せを願っている。


冒頭しんみりとした内容になったが、別居後の私とヒロキとの間に起こったことをシェアしたい。私たちが出会い、果たさなくてはいけない使命は


愛すること


だと知っているから。
そして私たちは最近まで本当にお互いを誤解していた。


1.パートナーって結婚すること?

この疑問は早くから払拭されていた。法律に縛られた関係は私もヒロキも窮屈さを感じていた。
ヒロキ自身に結婚願望や子どもを持つ選択がなく、私自身も婚姻届けや結婚式、結婚指輪などカタチにとらわれずに生きようと決めたから。

それでも私は事実婚の証明が欲しかった。
書類の書き方や提出方法、なぜ事実婚という証明が必要なのかをヒロキと話し合った。彼は快諾していたが、スピリチャルガイドDは「不安からの選択になっていないか?」と私に問うた。

確かに。
私はどちらかが緊急に手術や入院、死亡した場合、親族としての扱いにならないことがとても心配だった。

なぜならこの肉体がなくなるまで共にいたいと願うから。

そこまで伝えて、私自身がはっとした。それほどヒロキは私にとって大切に想う人だ。

でも本当にこの出会いが運命ではなく、魂のつながりによってもたらされたものであれば、この先どんなことが起きても、二人は離れることはないと実感した。

大丈夫だ。深く腑に落ちた瞬間、事実婚の証明すら必要なくなった。そしてさらに身も心も軽やかになり、二人の絆がより強く感じられるようになった。


2.刷り込み、思い込みの罠にドはまりしてた

生まれてくるときはその魂は自らのバースビジョンを覚えている。

あーーーーーーーーっ!!
それなのに、何てこと?!私は40年以上すっかりそんなこと忘れて、目の前のモノゴトに対処するだけの人生を送っていたよ。
それでも十分幸せだと思ってたけど、ヒロキに出会ってからそれがガタガタと崩れ落ちていった。もう、過去の自分には戻れないし、戻りたくもない。

って思ってた。
でもさ、バースビジョンを「魂」は忘れていないから、私はこれまでの人生でいくつもの体験をし、学ぶことがあった。だから魂のパートナー、片割れヒロキと出会ったんだ。

でもね、良くも悪くも慣れ親しんだこの環境をホイホイと手放しきれず(厳密にいうと、何が刷り込みで思い込みなのかが分からなかった)、苦労した。

◆ヒロキの場合
・伝統的に受け継いできた家の習慣や財産を相続する(長男ならでは)
・感情表現することは恥
・ご褒美制度(頑張ったら○○を得られるってやつ)
・始めたことは辞めてはいけない
・権威主義(実は上の4つもこの権威主義から生みだされている)
◆あっこの場合
・悪いことをしたら罰があたる(相手の気分を害するきっかけを作った場合も適応されてきた)
・有言実行
・自分は後回し、人が優先
・責任は自分ひとりでとる

ヒロキは価値観をはじめから狭め、選択の余地をなくした生き方をしていた。私は自由こそあれど、相手の受け取り方ではその代償があると思い、行動を制限していた。

そんな私たちが魂の出会いを果たしても、うまくいくはずがない。

思い込みや社会の刷り込みから解放されるには、もうしばらく自己成長を遂げる必要があった。

※内省していたころの記事

※二人の生活が始まって気づき多き記事


3.魂は知ってたんだね。

魂が出会ってから1年半。ヒロキの精神はタケノコのようにぐんぐんと拡大している。そして私の思考のメッキがどんどん剥がれ軽くなっている。

常に想いや思いはシンクロし、ワクワクと心地よさが同居する。


これまで生きてきて得た「親や社会からの刷り込み」や習慣による「思い込み」が邪魔をしていた。この半年、お互いの過去をたくさん観察し、感じなおすことで、別れを告げた彼女や彼氏、夫、家族との時間の中で、喜びも寂しさも、苦しみも、怒りや幸せも今なら鮮明に感じられるようになった。そこに私やヒロキが生きた証を実感した。

そのせいか、お互いを批判したり、非難することがなくなった。
ふと出張先の静岡の駿府公園のベンチでヒロキが私に言った。



「はじめから愛してた」



このnoteの読者ならわかるだろう。この言葉がヒロキの口からでてくるなんて誰が想像しただろう。
私は嬉しすぎて、ほっとして涙が溢れ出た。だって、私も「はじめから愛してた」から。

「だから、私たちはそれぞれの社会性に抗わないように努力したんだ」

「しんどかったねー」

「でもちゃんと抗ってたら、周りの人たちがついてこなかったよ。結局理解されずに自分たちが一番困った状況になったよ」

「ほんと、だからこの1年半があったんだね」

だから、証明なんていらない。
今日もお散歩に出かけた時、ヒロキが道を渡りながらつぶやいた。



「共に過ごす時間が毎瞬幸せと感じる、幸せ」



愛することに限りはないけれど、常に身体の内側から温かく心地の良い力が湧いている。枯れることのない泉のように。ヒロキがそばにいるだけで、私はどんな困難と感じられる出来事にも勇気と希望をもって向き合える。

ちょっとでも気に入らない相手に対して、すぐに狭小的なものの見方をしてしまう。そんな時も観かたを変え、感じ考え相手のハイヤーセルフ(より高い自分、高い次元にある意識)を見出す機会をつくることができるようになった。

愛とは、自分にチャンスを与えることでもあるのだ。
そんな愛の循環を私とヒロキ、そしてその循環を拡大していく。

今日も朝目覚めて幸せを感じ、夜眠りにつく今もたくさんの幸せと感じる瞬間があったことを思い出し、満足している。

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