知ってるから大丈夫。

私は明日、誕生日を迎えます。

私にとって、さすがに22歳になる誕生日は今まで思ってた「特別な日」ではなくなって忘れてしまいそうなくらい日常と変わらないものだとぼんやりと思っていました。

なぜなら、毎日の何気ない日々でもきちんと自分自身と向き合っていたり、欲しい物は欲しい時に与えたり、1日1日を自分なりに大切に過ごし、自分も大切にしているから誕生日だからといっていつもと何も変わらない感覚になったのです。

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誕生日前日や当日、振り返ってみたら母親に泣かされたり怒りを覚えさせられたりすることばかり思い出しました。

今日も小さいことかもしれませんが母から傷つけられました。

内容は、バースデーケーキについて。
私は母にはプレゼントをいらないと言った代わりに、バースデーケーキを買ってくれるとのことでした。
ケーキ売り場に行くと、バースデーケーキの他にも様々なケーキがあり、私が可愛いと選んだケーキのメッセージが「happybirthday」ではなく違う英語が書いてあり、これが誕生日用のケーキなのか分かりませんでした。
すると母親が調べることもせずに、「ろうそくが入ってるし分からないけどこれで大丈夫だと思うからこれでいいよ」と言いました。
私は「なんで調べてくれないの?」と聞きましたが母は「自分でケータイくらいあるから自分で調べられるでしょ?あんたと買い物に来ると不快な気分になるから最悪」と言われました。

私がこの時に悲しかった訳は、私にとってバースデーケーキという物はただの「物」ではなくて「人の気持ち」だと思っているから、母がバースデーケーキではいケーキかもしれないのに、適当に選ぼうとすることに対して理解できませんでした。

私のケーキやプレゼント、人への愛についてこだわりすぎている部分もあると思います。
なので、どちらが悪いとかは思いません。
きっと価値観の違いです。

でも心配なのが、母親です。
私はこの歳になれば、母親に愛がないことを分かっていました。
詳しく言うと、愛がないのではなく、愛を知らないと言いますか、もともと知らないので悪気がある行動ではないことをとても理解しています。
祖母を見ていたら、母がどのような家庭環境だったのか何となく見えてきます。

なので、母の中ではこれが正しいことであり私がなんで悲しんでいるのか理解していないとと思います。

そんな母のことを私は理解しています。
自分の愛し方や人の愛し方、それを知らない母に本当の愛を理解させることは難しいし、むしろできないとすら思います。

私にできることは、必要以上に愛を与えることでもなんでもなくて「向き合う」ことだと思います。

母親にとっては、都合が悪いし傷つくかもしれないし可愛くない娘を産んでしまったって思うかもしれないけど、私にとって母を愛すると言うことは母をきちんと「母親」として、いい子ちゃんな娘として生きていくのではなく、間違っていることは理解されなくても指摘する。
理不尽だと思うことに関して対抗し続けることだと思います。

親に変わってもらうことは随分前に諦めています。
ですが、私にとっての母親を親として存在させることは諦めたくないです。
伝わらなくても、悪者にされても、母親が親に与えられることのできなかった私にとっての「愛」を母親に与え続けます。

私もは母親が間違っていると思うことをしっかり理解して、強く生きているので立派に生きていけるので大丈夫です。

母親と、愛に飢えている姉を見ていると心が痛みますが、私自身が自分を愛して、人にも愛を与えることができる、もっと愛に満ち溢れた人間になってから、直接できることはないかもしれないけれど、2人にとっていい影響を与えられる人間になりたいと思いました。

大切な家族には幸せでいて欲しいです。

4月29日、大切な自分お誕生日おめでとう👏
自分で、自分の存在がどれだけ大切なのか誕生日じゃなくても分かっています。
誰一人にお祝いされなかったとしても、私の存在価値は何も変わらないことに違いありません。


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