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ドクターショッピングをしないといけないとき



 精神疾患を持つ人にとって、「ドクターショッピング」はしんどいことです。「このお医者さん、私に合わないかも。違うお医者さんに行ってみよう」って思うこと自体がしんどいものです。そして「ドクターショッピングする」ことは、わがままでよくないふるまい、のように受け取られることもあります。けれど、私は、それを「普通で、必要なこと」程度にわりきって考えてもいいのかも知れない、と現場では感じることがあります。思い切った意見を語るようですが、精神科医は、それぞれ、実は違った意見や感覚というのをお持ちなのです。


 たとえばよく聞くのは「私は摂食障害のことまで薬のことで面倒はみない」という発言をするお医者さん。摂食障害の患者さんは、症状のために「太りたくない」「太ったり食欲がでる薬は飲みたくない」とおっしゃる。しかしそれをまともに聞いていたのでは、出す薬が見つけにくくなることがある。患者さんにとっては命がけの切実なこだわりなのですが、その自己の身体イメージにいちいちつきあっていては重大な症状を抑えられなくなる、というお医者さんは、短時間しか取れない診察時間だから、会話につき合いきれなくて「気にしなさんな。これを飲みなさい。飲まないならほかの病院に行きなさい」ということがあります。患者さんには、まるで見捨てれたような体験に感じられてしまいます。しかし、それはやむをえないことなんでしょうか。

 そもそも摂食障害のことに寄り添うような理解をもたない医師もおられます。時間をかけて話を聞き、患者さんのその訴えのもとになっている心の構え方に寄り添って対することが必須の「心の症状」なのに、「食べないのは本人の強すぎる美的願望」のような扱いをされるときがあるのです。


 あるいは、話を聞く余裕がない診療の都合があるなら、院内のカウンセラーか、連携したカウンセラーを紹介し、その傾聴の姿勢でこだわりを受けとめる中で、施薬の選択肢を時間をかけて模索することだってできるかもしれない、とも思うのです。そういうことが十分なされていない例をしばしば耳にするのは、悲しいことですが、現実です。


 薬物を与えるだけが精神科の医者の仕事、という態度の方もおられます。服薬だけでは長くしつこい病気から自由になることはむつかしい患者さんには精神療法、心理療法を並行して行うことは基本的な選択肢なのですが、どういう経験の果てにそうなるのか、そちらを軽視して薬物の調整ばかりしかしないものだから、つらい状態が長く続くことを許してしまうお医者さん。

 あまり自分の話をお医者さん、看護師さんなどに長く聞いてもらったことがない、という患者さんは、ぜひ一度カウンセリングを試してみることをお勧めします。基本的な話ですが、「話す」「聞いてもらう」「一緒に考えてもらう」のは、心の病から回復するのに効くのです。薬と同等、あるいはそれより有効な場合もあります。


 同じ系統の薬物を二種も三種もだしてしまうような、患者さんが多剤服用状態になってしまうようにしてしまうお医者さんもいる。残念ながらそういう医者からは、敬意を払いつつ、距離をとるしかない気がします。

 同じ系統の薬はひとつでよいのです。たくさんのお薬を飲むと、今でている不調がどの薬による副作用なのか、わからなくなる。あるいは、薬を飲むこと自体は、身体には必ず多少なりとも負担になりますから、その負担が重なりあうだけでしんどい状態になることはありえます。適量を、適切な方向に使うことを、薬局の薬剤師がする役割ですが、受け取ろうとしたら薬剤師さんの意見が、医師の意見とは違っていてどっちを信用したらいいかわからなくなることもある。

 どうしたらいいのでしょうか。

 患者さんにとっては、いまや医療機関との付き合い方というのは、パソコンの使い方同様、一般の市民にとってなじみにくくても、持たないといけない市民生活のスキルなのかもしれません。「上手に医療機関を使いなさいよ」というセリフは、とてもお医者さん、病院を上から目線から見ていて失礼な言い方に響くかもしれません。だけど、必要な心がけかもしれません。「たまたま近所にあるから」「市内にあるのはこういう病院くらいだから」という理由であきらめていては、そもそもその症状、疾患に必要で的確な診断も施薬もうけられないことがあるのは、たびたび目にもし、聞きもするのです。


 あなたの病いを理解するお医者さんはいます。だからぜひドクターショッピングする根気をもとう、と、ぜひ精神科の患者さんにもお伝えしたいと思うのです。カウンセリングでは、一緒にそういう医者をさがす苦労に伴走する作業もします。適切な薬物の助けを得て、なおかつカウンセリングを並行することによって、みるみる回復していく患者さんがおられます。それは事実です。

 現状ではしかたない、さけられない旅なのかもしれないのです。しかしいつか、理解ある医者にはめぐりあえると思います。



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