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【仕事編・学童保育指導員③ 天国と地獄】 0ポイントと出会う旅

前日より1時間遅く起きたら9時に家を出たら外はもうすんごく暑くっていつもの半分しか歩けなかった。
首には首用の保冷剤と手拭いを巻き、なんだったらこのまま畑仕事とかしたくなるようないでたちで東京の街を歩いてまいりました。
おはようございます。

前回は、
学童保育で子どもたちと成るに任せて有機的自律運動がはたらいた、どんどん「次」が現れてくる、お話が展開していく経験を書いた。

あんなことがあるんだから、いつ、どこで、どんなふうに、0ポイントが現れるかわからないものだねえ。
おまけに、その場に居るみんなの0ポイントの集合、0ポイントにどんどんひらかれていく場って、楽で、悦びに満ちて、可能性にひらかれていて、という感じになる。
ぼーっとしてるんだけど、満ち満ちしてる。
バラバラなんだけど、動きながらひとつ、みたいなエネルギーの感じ。

もう少し「粒と星座」の言葉で記述してみるね。

この場合はお話をしているわたしをみんなが見ている。
正確には、わたしの口から出てくるお話の端々から溢れているあれこれを拾いながら、粒になりながら、つながり線になっていく、が起きている。
ひとりひとりの中で、過去のつながり線の軌跡が今目の前に繰り出してくるお話の刺激の素と混ざり合う。
わたしの口から出てくる物語の行方、物語そのものの持っている可能性、をひとりひとりが拾おうと構えている。

その様子は、側から見れば、とても落ち着いている。
固唾を飲んで見ている、というような表現にしかならない。
でもひとりひとりの内側では、有機的自律運動がはたらきまくっている。


そんな幸福な時間を持てた反面、苦しい場面もあった。
振り返ってみると、そこには、「大人の世界の枠」がおおいかぶさっていた気がする。

ひとつ例をあげてみる。
ある日、わたしは、体操するマットに、巻かれた。
わたしはある子どもの小さな集団に、集中攻撃されたのである。

学童が夕方を過ぎると、子どもたちは家に帰っていく。
親の帰りが遅い子は、学童のプログラムが終わっているので、児童館に併設している体育館で時間を潰している。
それでもある時間を過ぎれば帰るように指導員が促す。

その日も、同じようにわたしはそろそろ帰りなさいと促しに体育館に行った。
4人くらいだったか、いつも通り親の帰りが遅い子が残っていた。
4人は、わたしなんかの言うことはきかない。
わたしの、大人たちの中での立ち位置を、よくわかっているのだ。
こいつはザコだ、と言わんばかり。半笑いでわざとのように知らん顔をする。おもしろそうに逃げ回る。
わたしは馬鹿にされているような気がして焦るし、自分の不甲斐なさを突きつけられるようで苦しい。
強く出ても聞く耳を持ってくれないなら近しい感じで言ったらどうだろう。
卑屈な考えで近寄れば、そのような姑息な手はたちまち子どもに感じ取られ、さらに嘲笑が増す。
ひとりの子どもも諭せず、捕まえられもせず、体力が奪われていく。
そのうち、ひとりの子どもの合図で、わたしはその場にあった体操用のマットにキックで倒され、数人で巻かれた。
笑う。
今思い返してみれば、その状況を思い出すとおかしくて笑えてくる。昆布巻きである。
しかし、当時、わたしはまったく笑えなかった。
巻かれた上から、一人ずつ、高いところからわたしめがけてジャンプしてくる。次、次、とジャンプしてくる。
ゴホッと体が衝撃を受ける。
やめて、と言っても、誰にも届かない。
おもしろがってやっているのだから。
ひとりの子どもの合図は絶対で、その子の指令で他の子どもが動いていた。
その躊躇のなさから、ああ、これは常態化しているんだな、とわかった。

どうやって助かったのか忘れたけど、他の指導員が見つけてくれて止まったのだと思うが、まじ、死ぬかと思ったよ。

笑われながら、痛みを与えられつづけるって、はずかしめられるって、こたえた。

わたしの恐怖は他の指導員にはそこまで伝わらなくて、いつものイタズラ、のような扱いだったから、わたしも「そんな気」がしてきて、騒ぎ立てるようなことじゃないと思えてきた。

でも、わたしの体は、あの指令を出していた子どもに敏感に反応するようになっていた。
こわい。
ビクビクする。
目が怖い。

大人だからって、相手が子どもだからって、集団の「念」みたいなものには太刀打ちできないな、って思った経験だった。

姑息なことは少しも通用しない。
バレているのだ。
子どもが大人の言うことを聞くのは、大人のズルさをわかっていて、子どものふりをしてくれているのだ、という気さえした。

子どもたちは、子どもなりに、この世を生きていく術を身につける。
でも、その術を身につけさせるのは、子どもがそうならざるを得ない状況があるんじゃないか。
そんなことに思い至ってしまうのである。


※ここまでに出てくる言葉はまとめています。
ひとりよがりな主観の言葉です。

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