【仕事編・本屋さん② 本屋さんで働く人】 0ポイントと出会う旅
前回は本屋さんに行く、ビデオ屋さんに行く、ことを書いた。
本屋さんで働くのは2カ所経験がある。
一つ目は阿佐ヶ谷の本屋さん。
そこは深夜まで営業していて、わたしは早番をやっていた。
哲学とか純文学とか心理学とか好きだったからその本屋のセレクトは好きだった。
あ、こんな本もある。ワクワク。
それほど広くないのに、興味を惹かれる本が天井高く並んでいる。
本の並びや、コーナーの作り方が好きだった。
だから雇ってもらえた時はうれしかった。
さて、実際に働いてみることになったとき、わたしはその店にしっくりしていなかった。
もう少し正確に言おうとするなら、他のスタッフの、わたしの扱いに戸惑いが見られた。
わたしは明朗快活だった。
それが、わたしの良さだと思い込んでいた。
元は、誰とも会話できないような「馴染まない」子だったはずが、中学校高校と演劇を通して「人と関われる」人という勘違いな認識を持つようになっていた。
その本屋さんのスタッフは、そうではなかった。
「馴染まない」人だらけだったのである。
あれ?
あ、そっか。
いいのか、それでも構わないのか。
とも感じたが、いかんせん、「明朗快活」だと自分のことを絶賛信じ込んでいたので、修正がきかない。
なんだか、ゴロゴロ居心地が悪い。
会話したいけど、どのようにしたらいいかてんでわからなくなっていた。
本が売れたら抜き取る値段や商品番号の書かれた栞みたいなのを束ねるのをめっちゃ丁寧にできた。誰とも喋らないし、手持ち無沙汰だったから。
この場では、なにが正解?
本が、山のようにある。
読んでみたい本が、うず高く積まれている。
わたしにとっては夢のような場所だ。
お客さんで来る方が、楽しいな。
当たり前だけど。
しかししばらくはそこで働いていて、いる間に考えた。
この、夢のような場所は、誰が作っているのだろう。
ベテランの夜番の人は、太陽が出ている間に外に出たことは何年もない。と言っていた。
えー、うそー。太陽好きなわたしはビックリしたけどビックリは伝えなかった。
それがなにか?みたいな顔してたからその人は。
その人はその店にしっくりしていた。
何年もそこに居たからというのもあるし、お店のことはなんでも知っているということもあるし、今の店長の前の店長も知っているし。
だけど、整理整頓が苦手みたいで、わたしがレジ周りとか整理整頓することを放っといてくれた。褒めもしないけど、自分は整理整頓しないので、口出ししない態度だった。
お客さんの対応も、ボソボソしているし、本屋ってサービス業なのかなんなのか、と思った。
アマゾンができる前の、今から思えば一世紀くらい前の話をしているみたいに思えてくる。
今でいえば、街の古本屋さんに似ているかもしれない。
店長は、よく動いていた。
店長とて、人との応対が得意には決して見えない。
わたしとの面接さえ、ボソボソしていたもの。
明朗快活なわたしをよく雇ってくれたものだ。
「やってみる?」と、雇い主はわたしを前にして冒険を試みる傾向があるようだ。
魚屋さんの時もそうだった。
他の職場では、あちこちで人の噂や嘲笑があったけど、
この本屋ではそのような様子を見たことはなかった。
レジで一緒に立っているときでも、店長の悪口言ったりはなかったような気がする。
人と喋ったり意見を交換したりを率先してしている人がいなかった。
そんなこと、特別、いいことでもない。重要でもない。
そんなふうだった。
そんな中で、わたしは、「明朗快活」を身につけて大衆に迎合していこうというベクトルを纏った、ヘンなモノだった。
そこを辞めてから、お店に行ったことが何度かある。
その時の店長が別の店舗に移動になった後だった。
整然と並んでいた棚から、本が溢れていた。
出しっぱなしにされている本が放ったらかしになっている。
悲しかった。
その中にすごい「本当」が詰まっている本が、置き去りにされているようで。
行くたびに、それは増していて、本が乱雑にあちこちに散らばっていた。
ああ、きっと、あの夜番の人が今は店長なんだな、と、わかった。
整理整頓できない。
たぶんすごく本が好きでずっとこのお店で働いているけど、整理整頓は苦手のままなのだ。
本が好きなことと、整理整頓は、両立しなかった。
わたしは本を棚に戻したくなって、いつも思いとどまって、たまにまた店に寄って、ため息をついて帰ってきた。
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