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まやかしの星座

甘いものを摂ると体が疲れることがわかった昨日です。
こんにちは。
さいきん甜菜糖でできた最中ばかり食べています。
甜菜糖は体が疲れないみたいです。

前々回は、「既製品の星座」について、説明を試みた。
「既製品の星座」は、例えば既製品の衣服など、多くの人に購入してもらえるような「誰か」に合わせた商品のこと。
わたしの言葉で言えば「どこにでもいそうな誰か(実際はそんな人はいない)、の0ポイント」の寄せ集め、「日本で服を着る人の大きな輪っか」のような感じと言える。

→流通している中から採用される星座「既製品の星座」
→ざわりは活性化する機会を失う
→有機的自律運動のはたらきが阻止される

広く、速く、行き渡ることを可能にする反面、個々の個体の有機的自律運動は無視されやすいのじゃないかな(仮説)。
「日本で服を着る人」から成る「大きな輪っか」は「どこにでもいそうな誰か(幻想)の0ポイント」に訴求しているけれども、反面、「ひとつひとつ個々の個体」の、0ポイントは無視している。スルーしている。

スルーされている、無視されている、個体は
この世界でまるで透明みたいに見えなくなる。

個体の透明化

まさか、そんなこと、誰も望んでいないはずよね。


ところが、
望んでいないのに、「透明化」に甘んじてしまっている状況がある。

まやかしの星座

「まやかしの星座」現象と呼んでみる。

わたしの例で言うと、例えば働いている時、
・効率的に作業をしなければ、に迫られている
・時間の制限があって急ぐ状況にある
・会社のルールがある
・現場でのヒエラルキーで下の位置にある
などなど、仕事場の「集団の輪っか」の中にある時に発生する環境がある。そんな環境下では

→誰かの言動に倣う
→過去にまとまった星座を当てはめる
すると、
→自分の中にあるはずの有機的自律運動をすっ飛ばす、ターボ効果
→反比例するかのように、ざわりにおける活性、有機的自律運動は抑制される
→ひとまずの星座の体にはなる

上の図でいうと、粒とつながり線が活性化している「ざわり」をすっ飛ばす形だ。


まるで「答え」「正解」「こうであるはず」を目指しているかのよう。

とにかく、
速く! 要領よく! 人を煩わさず! 正解を導き出せ!

みたいな感じ。

それによって現場は回る。足並みも揃う、かのように見える。
そのすぐ傍で個体の有機的自律運動は無視されスルーされている。
結果、
→“ざわり”の運動不足・未消化
が起きていると考えられる(仮説)。

それによって現場は回る。足並みも揃う、かのように見える。
そのすぐ傍で個体の有機的自律運動は無視されスルーされている。
結果、
→“ざわり”の運動不足・未消化
が起きていると考えられる(仮説)。

と、もう一度、繰り返し言ってみる。

わたしは「働く」が続かない、というテーマを持っている。

決まってやってくるのは「わからない」「けどしんどい」という現象だ。
働けば働くほど、そこに居れば居るほど、自分が透明になっていく。
自分にさえ見えなくなっているし、他者からは余計に見えないはず。
しんどさだけがある。

たぶん、自分の有機的自律運動のはたらきが優先されない場だったのだろう。

現場は回る。
集団の輪っかに沿っていればまわる。
足並みも揃う。
しかし、そんなこと、ずっとは続かない。わたしにとっては。

むしろ、沿えずにボロボロこぼれて当たり前なのだ。

わたしの有機的自律運動はわたしの速さ(時間経過)がある。
ずっと後になってまとまってくることもある。


わたしの有機的自律運動にはある程度の隙間が必要だ。
大きな輪っかとズレることで生まれる余白もある。


わたしの有機的自律運動にはリズムがある。
天気のような大きな自然の法則の中にランダムなリズムがある。


このような「わたしという個体」に現れるはずの有機的自律運動を、いつの間にか明け渡していた。
(なにに?)
たぶん、保育園に初めて通うようになったあの頃から。
その場に居られない、が発生してから。
お茶を濁してきたが、やっぱりそうだったのだ、ということが30回転職を繰り返している現実が知らせてくれている。


ここまでに出てきた言葉をまとめています。
ひとりよがりな主観の言葉です。

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