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ラブレター

「青天の霹靂」とは、こういうことを言うのではないだろうか。

思いもよらぬ方から、思いもよらぬことで、愛の塊でしかないお手紙を頂戴したのだ。


私は、とてもとてもコミュニケーションにコンプレックスがある(払拭すべく奮闘中…)。
それは、子供の時の刷り込みに依るものなのか、成長するために自身でつけた思い込みに依るものなのかは、もはやわからない。

ただ、話を聞いてもらえなかったり、話したことが違う意味に取られたりした経験で、どんどんと自分の言葉を飲み込んでいったように思う。

また、それに輪をかけて“ちゃんと教”の信者であったため(こちらも脱会を試み中…)、「ちゃんと分かりやすく話さなきゃ」「ちゃんとおかしくないようにしなくちゃ」と考えて、ますます話すのが苦手になっていった。



でも、それは...

私が都合良く作り出した世界だったということに、ようやく気づいた。
コミュニケーションが苦手ということで、自分自身を防護できていたのだ。
そうやって、自分に言い訳をし、人とある程度の距離を取っていれば、傷つかずに済むから。嫌な思いをせずに済むから。


しかし、その世界は安全であったかもしれないけど、自分が作ったとおり、距離を保たなければ付き合えない人が現れた。
そういう人たちに囲まれた。

まさに、私の望んでいることが叶っていたのだ。


でも、本当は…

私は人と交わりたい。
みんなの見ている世界を知りたい。
自分だけでは限られる世界をみんなの世界を見せてもらうことによって拡げていきたい。

これが、最近になってやっとでてきた本心。


そうしたら、自分の世界を見せてくれる人たちが現れた。
とても怖いだろうに、勇気を出して見せてくれる人たちが現れだした。

この人たちと交わりたい!
どんな人なのかもっと知りたい!

そう思ったら、自分の方から見せないと。
自分がどんな人間か分かってもらわないと。

そんな時にいただいたラブレター(私はそう思ってる)

私のことを見ていてくれて、「愛に溢れている」だなんて言ってくれる
❝しゃなえさん❞に大きな大きな愛をいただいた。
私の中にある1番大切なものを、改めて気づかせてくれた。

嬉しかったです。
本当にありがとうございます。

そうだった…

コミュニケーションが苦手な分、自分からの、ではなく、相手からの、感情、気持ちを、余すことなくしっかりと受け止めることが、私のしてきたことだった。

「相手に寄り添う」


それは、私が息をするようにできることだった。




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