アイ・ラブ・コーヒーソング

 その店は気まぐれ営業もいいところで、行ってみて開いていればラッキー、くらいの気持ちで通う客も多い。

 そう知ったのは三度目に店に入ることができたときで、その後の二回は見事にふられた。私はどうやら三回に一回しかその喫茶店へは入れないらしかった。

 小さな店なのでテーブルも少ない。自然と一人客はカウンター席を使うようになる。そうすると、これまた当然のことながら、カウンター内で作業するマスターと話をすることになる。

 客からのオーダー品をすべて出し終えると、ちょび髭の、でもまだせいぜい三十代前半だろうと思われるマスターは、作業テーブルの上に、ざざっ、とコーヒー豆を広げる。

「何してるんですか?」

「豆の選別」

「基準は?」

「好み」

 思わず黙ってしまった私に、店長は顔を上げる。

「この豆は形が好き、この豆は色が嫌い、って分けんの」

「何ですかそれー」

 いい加減もいいところだと私は笑う。対するマスターは真顔のままだ。

「僕のコーヒーの師匠がね、やっぱりこうやって豆を選ぶんだよ。でもその基準は教えてくれないんだな。彼のコーヒーはいつでもすごくおいしいんだけどね。だから僕も真似してんの。やってるうちに何かわかってくるかもしれないじゃない? それにさ、一粒ずつ選ぶとそれだけで愛情が湧くんだよ。気がつくと、おいしくなーれ、おいしくなーれ、って言いながら選り分けてたりしてね」

 そこまで言って、ニッ、と笑った。

 店は二年後に閉店した。

「だって、ほら、僕、ミュージシャンだからさ」

 髯も頭も剃ったマスターは、それじゃお坊さんみたいだよと皆に笑われながら、

「でも音楽で食ってくって決めたんだ」

 ときっぱり言って、残り物のコーヒー豆をその日の客全員に少しずつ配った。

 今でも覚えている。あの日もらった深煎りコーヒーの苦さ。けれど、奥のほうからふわりと湧いてくる甘さ。

「マスターに負けないように頑張るよ」

 自分の好みで選び分けた豆を挽き、私はゆっくりとコーヒーをドリップする。静かにカップに注いでから、昨日買ったばかりのCDをかける。

『今日もうまいコーヒー、飲んでますか~♪』

 なつかしい店長の声が流れてきて、妙な歌詞とともに笑いを誘った。

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