迷いもひとつ

「あら、こちらもいいわねぇ」

 郵便局の片隅で、老婦人は細い目をさらに細めて切手に見入る。その嬉しそうな様子にこちらも笑顔になる。

 以前はよくいらしていた方だが、ここ数か月、姿を見ていなかったように思う。背はしゃんとしているものの髪は白く、片手で軽く杖をつきながらいらっしゃるので、結構な年齢なのは確かだ。ご病気でもされたかな、と思わなかったと言えば嘘になる。

 けれど、今見た限りではお元気そうだ。

「こちらでしたら裏がシールになっていますので、このまま貼れて便利かと思います」

「そうねぇ、なるべく細かい作業はなくしたいのよね」

 皺の寄った指先を口元に寄せ、いたずらっぽく笑う。そんな表情には若々しささえ感じられて、

『あ、こんなふうに年を取りたいな』

 などと、こっそり思ってしまう。

「どうせ使うから1枚ずついただくわ」

 雪景色などのイラストが描かれたものと、日本各地の伝統工芸をデザインしたもの、それぞれの切手シートを1枚ずつ購入することにして、彼女は財布を取り出した。

「やっぱり実物を見て選ぶのはいいわね。パソコンの画面じゃ、よくわからなくて」

「パソコンをお使いになるんですか。すごいですね」

「孫がいろいろ教えてくれるの。でも、ちっとも覚えなくて」

 すぐに目がしょぼしょぼしちゃうのよ、と目尻を下げる。

「私もです。仕事でも使うので、覚えるのが大変で」

 同意した私に、でも若いから大丈夫よ、とにこやかに告げて、千円札を2枚置く。

「360円のお返しになります。来月も2種類、新しいのが出ますので、よろしければまた見にいらしてください」

「見るだけでもいいかしら?」

「もちろんです」

 目を見合わせて笑う。去っていく後ろ姿をいつまででも見送っていたい気分だった。

 小さな町の小さな郵便局でも、民営化とともにいろいろな商品を扱うようになった。季節に合わせたはがきやレターセット、さまざまなテーマの切手シート、ちょっとした文房具。メッセージを書き込んで送れる“キットカット”が登場した際には、何人かの方に「これは何?」と質問されたものだ。

 今しがたの老婦人もその一人だったっけ、と思い出す。決してうるさくない程度にあれこれと興味を向け、少しの考慮の末に利用の是非を決める。きっとここでのことだけでなく、生活のあらゆる面で一つひとつの物事を丁寧に扱っているのだろう。そんなふうに思わせる美しさのある人だった。

「こんにちはー」

 ガラス戸を押し開けて入ってきたのは、確か幼稚園に入ったばかりの女の子。その後ろから若いお母さん。

「えっと、82円きってを3まいください」

 女の子のはきはきとした口調が好ましい。

「普通のこういうお花のとちょっと綺麗な記念切手というのがありますが、どちらにしますか?」

 ゆっくりめに尋ねると、女の子は母親を振り仰いで答えを求める。母親が静かに笑う。

「どんな記念切手がありますか?」

「今はこちらの――」

 見本を取り出し、二人に見せる。よく似た目元が楽しげに揺れる。

 世界を変えるような仕事ではないけれど、私も一つひとつ丁寧にこなしていこう。そう思えた冬の午後だった。

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