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好きも嫌いも気になる話

一つ前の記事では、「な~んか仕事休みになったら仕事のやる気が出ないのよね~」とただ愚痴っているだけの文章になってしまったのでは…と少し心配もしているけれど、これも正直な自分の心境を見つめている真っ只中の1シーンで、また少し時間が経てば変化するのかもしれない。
そして、今は仕事に行かない分、制作や自分の内面を見つめることに矢印が向いているのだ。この機会に自分ととことん向き合ってやろうじゃないか。
そう思ったら口調も「ですます調」から変化した。しばらくこちらで書いてみよう。
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先日、音楽イベントを一緒に作っていく仲間とオンライン飲み会をした。夜もふけた頃、とある日本のバンド(〇〇とする)が話題に上がり、一人が「僕は〇〇を好きという人が嫌いなんです」と言った。
〇〇は世間ではボーカルの声の独特さが特徴として知られている。あと、歌詞がときどきエロいことも。
「私、〇〇好き」すかさず私は言った。笑いながら。嫌な気持ちはしていなかった。私はこのバンドのボーカルの独特な声も歌詞も好きだけれど(歌詞はときどきエロいことも含めて情景の描き方が文学的な感じがしていいなと思っているのだ)、それらをダメだ受け付けないと感じる人もいるだろう。だから「嫌いって言う人の気持ちも分かるよ」と笑った。
先の発言をした彼は少し慌てた様子で「いや、本当に好きで何も言わず聴いてる人はいいんですけど…」とかなんとか言っていた。どうやら「〇〇好き」をやたらとアピールする人がただのポーズに思えて気に食わない様子だった。

そのあとも少しの間「嫌いな音楽は何か」という話は続いた。
とある国民的人気バンドを嫌いだという人には皆が驚いた。いつも穏やかで、何かを悪く言ったりしなそうな印象の人だったからかもしれない。嫌いな理由は「メロディーに対する言葉の乗せ方が好きではない」のだという。音楽が好きでこだわりのある人だからこその理由という感じがする…。
別の人は「少し上の世代に影響を受けた自分と同世代のバンドは好きではない」というようなことを言っていた。これも、少し上の世代の音楽に対して特別な気持ちを持っているからなんだろう。

嫌いな音楽の話は意外にも楽しかった。なぜだろう?気心知れた仲間で内緒の話で盛り上がった感じがしたからだろうか。会社で嫌な上司の愚痴を言い合うことで同期の結束が固まる的な?いや、皆が同じものを嫌いと言っているのではなくバラバラなのでこれは違う。

思い出してみれば、「嫌い」の話を聞いて面白いと感じたのは初めてではなかった。
たとえば昔働いていた職場でのできごと。とある国民的人気アニメ監督について、その監督が好きだという同僚と、嫌いだという先輩が話をしており、私はそれを近くで興味深く聞いていた(私は好きなほう)。
面白かったのは、それぞれが主張する「好きポイント」と「嫌いポイント」がみごとに一致していたことである。ある人には好かれる特徴が、別の人からは嫌われることもあるんだな…(逆もしかり)。ちなみに二人は仲が良く、言い争うのではなく面白がって話をしていた。

それから、とあるカフェでのできごと。私は数年前にそのカフェ主催の読書会に参加していて、月に一度の楽しみとなっていた。あるとき顔見知りの店員さんが、とある国民的人気少年マンガを「大っ嫌い」と言うのを聞いて衝撃を受けた。私はそのマンガを好きなほうで、それまで嫌いだという人に会ったことがなかった。
だけど全く嫌な気持ちにはならなかった。その店員さんが本好きで特に絵本に詳しいことや、熱心に働いていることを知っていたこともあり、「この人はなぜあのマンガが嫌いなのだろう?」と純粋に興味が沸いた。
結局その時は聞けずじまいだったのだけど、いつか再会できたらぜひ聞いてみたいと思う。

さて、これらのできごとから、私は「嫌い」について話すことは、人と人とがより理解しあうきっかけになるかもしれないと今考えている。

「嫌い」について話すことは、ただの愚痴、ディスりになってしまう危険もある(愚痴もときには発散のために必要かもしれないが)。
けれど愚痴ではなく、ディスるのでもなく冷静に話せたら。
また、相手が自分の好きなものを嫌いだったとしても、逆に自分の嫌いなものを相手が好きだったとしても。
お互いを、そして話題に出す対象をリスペクトした上で「私はこんなことが苦手と感じる」「私はこういうことを許せないと感じる」と話すことは相手に心を開くことだし、そんな相手の話を「そっか。あなたはそう感じるんだね」と受け止めることは、相手の開いてくれた部分を受け止めることなんじゃないだろうか。

初対面やまだよく知らない人同士では「好き」なものの話のほうがしやすいし仲良くなりやすいと思うので、ある程度信頼関係ができてからがいいのだろう。信頼関係ができてからも、いつも「嫌い」について話そう!というよりは、たまに話題に上がったときにいかに向き合えるかが大事な気がする。

そして「好き」という言葉にさまざまな気持ちのグラデーションが隠されているように、「嫌い」もライトな気持ちからもうほとんどトラウマにつながるような感情まで幅のある言葉なんだろう。だから相手の話したくないことは無理に言わせないことも大事なんだろうね。
その辺のさじ加減が人づき合いのムズカシイところだけど、「この人には繊細なさじ加減で大事に接していきたい」と思えたり、「あなたは私の大雑把なさじ加減も許してくれるのね」って感動したりすることもあるから、やっぱり人と知り合っていくのは面白いね。と、今日のところは思える私でよかった!

最初に書いたオンライン飲み会で、こんな会話もあった。
「嫌いな音楽…浮かばないです。好きなもの以外は嫌いっていうより無関心になっちゃう」
「そうだね、嫌いになるってことはどこか琴線に触れてるとか意識してるってことだもんね」
そう、「嫌い」の中には、実はどこか気になる要素があったりして。
まだまだ気になる「嫌い」の話。また、どこかで。


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