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全部ダメな話

「オナニーしてる時点で全部ダメじゃろ。」

これは俺と仕事で絡みのある人間が、かつて俺との会話の中で放ったセリフである。彼はオナニーをしている時点で全部ダメだと言うのだ。
俺はこのセリフに非常〜に感銘を受けた。言い得て妙であると思った。
では、オナニーをしている時点で全部ダメだとはど〜ゆ〜ことか。彼の言うところを以下俺の解釈も含めてざっくりと説明する。

過去にオナニーをしていた、あるいは現在進行形でオナニーをしているサピエンスのオス(トランスジェンダー等、一部の性的マイノリティの方々を除くサピエンスのオス)とゆ〜生き物は、どんなに立派なことや偉そ〜なことを言ってもダメだと言うのである。オナニーをしていた(している)サピエンスのオスが、どんなに立派なことや偉そ〜なことを言ったところで説得力なんてものはないと言うのだ。だからそんな奴らの話なんて聞く必要はないのだと。彼が言うには、所詮オナニーをしていた(している)人間の言うことなんぞ大したことはないと言うのである。

なるほど、確かに女性のおっぱいだのケツだのに性的興奮を覚え、で、ちんちんをおっ立ててオナニーをしていた時点でお前も俺も何様でもないわなと俺も思う。
所詮お前も俺もオナニーしてたじゃん。なに偉そ〜なこと言っちゃってるの?いや、随分とご立派なことをのたまっていらっしゃるけどお前様だって俺と同じよ〜にオナニーしてたわけでしょ?たいしたことないじゃん、なんて上のセリフを聞くと何だか思えてくるではないか。

平安時代の頃には既に禅宗あたりでは「人間なんぞ食い物を喰らってうんこをするだけのただのデカい袋である」みたいなことを言っているわけだが、それに通ずる話ではないかと俺は思う。
「人間なんぞ所詮は糞袋である」と「オナニーしてる時点で全部ダメだろ」は本質的に同じ発想であると思われる。これらの考え方は我々人間の驕り高ぶりへの戒めが内包されていると思うのだ。相手に対しても自分に対しても様々な驕り高ぶりを戒めているよ〜に俺は感じるのである。所詮我々サピエンスなんぞしがないただのサルじゃあないかと。
で、そ〜考えると誰かの説教なんかもうんこの価値すらないなとも思えてくるではないか。俺に説教を垂れることが出来るサピエンスのオスなんぞオナニーをしたことのないスゴい奴だけだ!なんて思えるではないか。

「オナニーしてる時点で全部ダメじゃろ。」は物事の本質を捉えているよ~に思える。なので俺は改めてカッコいいオナニーを追及したいと思う。いや、てか、一体何が【なので】なんだよと…勝手に追及しろよと…そんなツッコミがあちこちから聞こえてきそ~である…


ゐやややん💖

ええっ! ホント〜ですか。 非常〜に嬉しいです。