私の通訳さん
「あ!」
土曜出勤からの帰宅途中、電車の乗り換えのためにエスカレーターを上がると、不意に前方から声がした。
何だろうと思ってみてみると、こんなことってあるだろうか。高校3年間同じだった担任の先生が立っていた。
なんという偶然。先生はお友達と一緒だったので、挨拶をし、後日ランチでもしましょうと、携帯電話の連絡先を交換した。
1週間後、私は先生と待ち合わせをした。
店員を待ちながら先生は言った。
「すごい偶然だったわね。でもびっくりしたわ。あなたがこんなに積極的に行動する子だったなんて」
どうやら私は大人しくて消極的な生徒の印象が強かったらしい。
久しぶりに会った高校時代の担任の先生と連絡先を交換なんて、まずしないようなタイプだと思われていたようだ。
「それはたぶん、あのことがあったからだと思います。アイのこと、覚えてますか・・・?」
回想
アイは小学校の時から目立つ存在だった。
凛とした色白美人で、勉強も運動もできて、華やかなグループに入っていた。
大人しいグループで過ごしていた私には、関わり合いがない人に思えていた。
ところが、中学生になって、同じ吹奏楽部に入った。
入部が確定する日にアイが隣に座っていて驚いたものだ。
テニス部とか、バスケ部とか、もっと活動的で明るいイメージのクラブに入るんだと思っていたから。
とっつきにくいと思っていたアイは、話してみると意外に普通の女の子で、中学校からの帰り道が最後まで一緒だったこともあり、すぐに仲良くなった。
その頃の私は、人と話すのが苦手だった。
何かを話すのに、相手に時間をとらせてはいけないと思うあまり、要約しすぎて、聞いている相手は?となることがしょっちゅうだった。
アイとはクラスも部活も一緒だったので、ほとんど一緒にいた。
あるとき、またしても私の話に?となっている別の友達に、アイが言ったのだ。
「言いたい内容って、○○ってことだよね。つまり~~」
私は驚いた。
アイの言う内容は、私が言いたかった事で、しかも相手に伝わるようにきちんと順序だてて組み立てられていたから。
「私の通訳さんみたいだね」
それからは、私の言葉が足りない部分をアイが補う、という構図が成立していた。
他の友達も理解していて、私の話が分からなくなった時はアイに「通訳さん、お願い」と説明を求める。
こんなんじゃいけないなと思いながらも、自分のことをよく理解してくれるアイといるのは心地よかった。
中学3年生では同じクラスにもなった。
学力も同じぐらいで、高校も同じところに行くことになった。
高校進学を控えた春休み、アイは私に言った。
病気なの、と。
今すぐ命に係わる病気ではないけれど、一緒にいるときに発作が起きたらびっくりすると思うから言っておくね、と。
アイは運動も得意だったし、色白ではあるものの、健康そうだったから私は驚いた。が、命にはかかわらないと聞いて安心していた。
高校では中学校と違って人数も多く、一度もアイとは同じクラスになれなかった。
アイは帰宅部、私は吹奏楽部で副部長なんかをしていたから、なおさら会うことはなくなった。
下駄箱でたまに朝会うぐらい。
高校2年生の頃、修学旅行で久しぶりに遠くから見かけたアイの様子が、なんだか儚げになっていて少し心配になった。
そこで人づてにアイが旅行に来れるかも怪しいぐらい体調が悪かったと聞いた。
病気のことが頭をよぎる。命には関らないと言っていたけれど大丈夫かな・・・。
それでも、本当に接点はなく、たまに見かけると手を振りあうぐらいの関係だった。
高校3年生のある秋の夕方、自宅にいた私は、ふと、「アイに電話しようかな」と思い立った。
でも、直後にその思いをいやいや、と打ち消した。
なんで今、電話をしようと思ったんだろう、特に用事もないのに、と。
当時は今ほど携帯電話が普及していなかったから、連絡を取り合おうと思うと、お互いの家の電話にかけるしかない。
特に用事がないのに電話をかけるには、敷居が高かった。
その日の夜、普段は電話などかかってくることのない、中学校の同級生だった子から電話があった。
「落ち着いて聞いてね。アイが亡くなった」
は。
一瞬頭が真っ白になる。
ナクナッタ。亡くなった?
なんで。つい3日前にも下駄箱であいさつしたのに。
「家に一人でいるときに発作が起きたらしいよ」
ああ、もしかして。
夕方に電話をしようと思ったのは、虫の知らせってやつだったのか。
あの時私が電話をしていれば。
何かのタイミングが変わって、アイは助かったかもしれない。
私が電話をしなかったせいだとは思わない。でも、何か変わったのかもと思わずにはいられなかった。
現在
「だから、あ!って思ったことにはすぐに行動するようにしているんです」
そう話すと、担任の先生は悲しそうな目をして言った。
「そうだったの・・・。初めて聞いたわ・・・」
「私も初めて言いました」
にっこり笑って言う。
大丈夫。心の傷にはなっていない。
どんな小さなことでも心の琴線に触れたら、心の耳を澄ますようにしてきた。
直感を信じる。
そんな時、いつでも私は親友を思い出す。
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