情報を通じて暮らしを豊かにする | 株式会社いまじん 芳賀崇利さん
Google検索画面に、「山形県 庄内 情報」とワード入力し、Enterキーを押す。
検索結果の画面の上部に庄内町のGoogleマップが表示され、その下に情報源となるサイトが並ぶ。
その地図の真下、つまり最初に表示されている情報サイトに「庄内コンシェルジュ|山形県庄内エリアの地域情報ウェブ」と地域に特化したサイト名と内容が表示される。
同じようなワードで他の他府県で検索してみると、最初に上がってくる情報サイトは、検索した土地の市役所や観光協会など行政を中心としたものがほとんどだ。
もちろん検索する目的や、受け止める側の個人差もあるかもしれないが、検索表示トップがいきなり行政のポータルサイトというのは、なんとなく堅苦しさを感じる。
そんななかで、日本海側に面し、日本でも有数の穀倉地帯といわれる庄内平野に展開する、鶴岡市、酒田市、三川町、庄内町、遊佐町という2市3町を中心としたこの地域の情報は他とは明らかに違う。
行政も含めて、グルメや美容といった生活に密着する店舗、そして地元企業のあらゆる情報に密着している地域Webサイト「庄内コンシェルジュ」が躍り出てくるのだ。
「一つの情報を知っているか、知らないかで、暮らしが変わってきます」
地域Webサイト「庄内コンシェルジュ」を運営している株式会社いまじん 代表 芳賀崇利(はがたかとし)さんは、そう語る。
「情報を通じて暮らしを豊かにする」という理念のもとに、2014年にこのサイトを立ち上げ、2023年には総利用者数225万人という規模にまで育て上げている。
しかも、驚くべきことは、Webビジネスの経験もなく、地域のコネクションもないという、まさに正真正銘のゼロベースからスタートでこの実績を築きあげている。
芳賀さんは埼玉県に生まれ育ち、山形県へと移り住んだのは10年前。
庄内を生活の拠点としつつ株式会社いまじんを立ち上げ、Webサイト制作・運営と中心としたビジネスを始めた。
それ以前の経歴は、建築金物取付けの職人に始まり、電子部品商社の会社員などWeb関連とは縁遠い業界に身を置いていた。
現在とまったく違う業種を歩みながらも、なぜ、このような大きな足跡を残せるまでに至ることができたのか。
話を聞くにつれて、地域やそこに暮らす人たち、とくに子どもたちの将来への思い、自分が「いまこれが大事だ」と思うものに精力注ごうとする芳賀さんの真摯な姿が、そこに見えてくる。
信頼の第一歩は、正確な情報から
芳賀さんが運営する株式会社いまじんは、山形県鶴岡市を拠点として、地域Webサイトのほかに、ホームページ制作、ネットショップの運営サポート、販促物のデザイン・印刷、と手掛ける事業は幅広い。
その中でも、とくに目を見張るのが8年前に立ち上がった「庄内コンシェルジュ」だ。
右肩上がりに契約件数を増やし、先に述べた通りすでに利用者数225万人を突破、全国4925ものWebメディアがある中で64位という実績をも誇っている。
また、数値的な実績だけではない。
理念を体現するかの如く大きな功績を残している。
それは、2020年新型コロナウィルス感染症が襲ってきたときのことだ。
緊急事態宣言という、人との接触を控えるために未曾有の行動規制は、接客業を中心とした業界に大きな痛手を与えたことは、まだ記憶に新しい。
世界中がそのように混乱している中で、「庄内コンシェルジュ」と契約している店舗は、なんと1軒も潰れることがなかったのだ。
歴史ある伝統的な飲食・宿泊サービスを提供する企業や店舗ですら、涙を飲みながら廃業に追い込まれていくという、今まで見たこともない姿が全国各地で見受けられたにも関わらず、庄内コンシェルジュに契約している店舗にとって、廃業という言葉はまったく縁遠いものであった。
「この事態で、まず重要だと思ったのが行政の情報です」
と、芳賀さんは当時を振り返る。
どれだけの感染者数が出て、どのような行動がいま必要なのか。
前例がまったくない事態なだけに、人が求められる情報をいかにわかりやすく、かつタイムリーに伝えることができるのか。
そう思った芳賀さんは、即座に行動する。
行政の情報として目をつけたのは、県庁が発信しているTwitterだった。
「いろいろと情報源を探りましたが、県庁のTwitterが、的確で一番早かったですね」
すぐに山形県庁へ問い合わせし、県庁が発信するTwitterと庄内コンシェルジュと連携させる合意を得る。
当時誰もが気にしていた感染者数や感染防止対策といったタイムリーな情報を、庄内コンシェルジュからも伝わるように仕組みをつくった。
この一方で、庄内コンシェルジュに契約している各店舗にも情報の発信を呼びかける。
状況に応じて、店舗としてどのような感染症対策を打ち立てているのか、打ち立てているのであればどのような対策か。
それ以外にも、短縮営業とするのか休業とするのか、短縮営業であればその時間、休業であればその期間……。
お店に来られるお客さんに、伝えなくてはならないことは山ほどある。
行政の情報と、庄内コンシェルジュ契約店舗での対策情報や営業時間などの発信など、ポータルサイトとして情報の一元化を徹底して図った。
「店舗の皆さんも、状況を踏まえてきちんと対策を打ち立てているんですよ。でも、その事実をわずかなことでもいいのでしっかりと発信しないと、相手には伝わりません」
芳賀さんは、「伝えること」の大切さを強調する。
「個人的にSNSで発信するだけではなく、公式内容として自サイトで発信することが何よりも重要なんです。
自サイトで発信しているということは、その店にとっての公式発信です。お客さまに求められているであろう情報を公式に適宜発信しているという姿が、何よりもお店の信頼につながります」
ホームページを持たない店舗さんでも、庄内コンシェルジュに契約していることで、自サイトで発信するのと同等の効果を十分に果たしていた、と芳賀さんは語る。
「休業をお知らせする、という情報ひとつとってみても大事なんです。お店にわざわざ足を運んでようやく休業のことを知ることと、あらかじめ知ることで、お店に対する印象だって変わります」
情報は鮮度。
あらゆる情報をタイムリーに伝える環境が何よりも重要であり、常に柔軟かつ包括的に対応できる仕組み持つことが地域Webメディアの「あり方」としてこだわる点だと、芳賀さんは強く語る。
この結果、庄内コンシェルジュのアクセス数は、たった1カ月で27万件にものぼり、当時の検索では「庄内コンシェルジュ コロナ」というワードでサジェストされるほどとなった。
ちなみに、庄内地域の人口は約27万人。この数値と比較すると、その凄さがわかる。
もちろん、27万件とは延べ件数だ。
述べということは、庄内コンシェルジュに繰り返してアクセスしてきているわけであり、信用度の高いサイトであることを物語っている。
地域の人たちにとって、庄内コンシェルジュがいかに重要な情報源となっていたかがうかがえる。
地元お店のファンを増やしたい
「広告というのは掲載して『はい終わり』ではありません。いかにお店のファンをつくるか、ということを考える必要があります」
そのために、情報を伝えるメディアをどう「使いこなす」のか。
芳賀さんが考える戦略の根本だ。
お店のファン、つまりは「常連客」という層は、店舗経営を支える基盤となる。
当然といえば当然なのだが、でもその常連客をつくることができず、頭を悩ませている人たちも一定数いることも確かだ。
「目先で発行するクーポンを目当てに来るお客さんは果たして繰り返して来るでしょうか。やはり、心から『このお店が好きだ』と思ってもらえるお客さんを増やさないと」
だから、庄内コンシェルジュでは、サイトにサービス内容を掲載してもらって「はい終わり」とはしない。掲載されているお店がしっかりと独自にファンを増やしていけるようにと、芳賀さんはそのバックアップサポートを欠かさない。
季節やさまざまなタイミングを見ては、サイト内容の更新や追加情報の必要性などの声かけている。「情報の発信をどうしていいかわからない」という店主さんの相談にも応じる。
自らが運営するサイトと掲載していただいているお店とともに成長し、地域に貢献していきたい、という思いがあるからだ。
サイトに契約していただいているお店の発展をサポートすることが地域への貢献であり、自らが運営するサイトの成長でもあると芳賀さんは考える。
Webサイトは「作って終わり」ではない。出来上がってからがスタートだ。
「地域Webサイトを運営で、バランスが取れてしっかりと回っているという評価に入るのは、全体の1〜2割程度といわれているのが現状です。『庄内コンシェルジュ』は、間違いなくその中に入っています」と芳賀さんは胸を張る。
検索エンジンにいかに好まれるか、というSEOに関する議論がある。単純に考えても、コンテンツ内容、お得な情報がタイムリーにアップデートされているサイトは、検索結果を表示する側にとっても安心であり、信頼のおけるサイトと評価する。
実際に「庄内コンシェルジュ」は、「山形県 庄内 情報」で検索トップに躍り出てきている。
ここまで育った「庄内コンシェルジュ」だが、立ち上げた当時は目新しいものであるだけに風当たりのキツさもあったという芳賀さん。
「最初のうちは、すぐ契約、といったことにはならなかったですね」と当時を振り返る。
「そりゃそうですよね。純粋に地元出身でもなくよそからポッときた人間が、『サイトに情報掲載しませんか?』と言われても怪しいだけですよね」と笑う。
立ち上げ当初は、運営サイトとしてのまったく売上が立たず、赤字の連続。この事業をあきらめてもう東京へ戻ろうか、と頭をよぎらせたこともあったという。
それでもあきらめなかったのは、最初から芳賀さんの熱心さに惚れてサイト掲載の契約としてくれた人たちがいたからだ。
「『頑張ってね』と声をかけられたら、そりゃもうなんとかしようと思いますよ」
その「なんとか」を踏ん張り続けてここまできたわけだが、その裏側には相当な努力の積み重ねがあった。
株式会社いまじんを立ち上げるまでの芳賀さんは、Webコンテンツやマーケティングといったことを前職としていたわけではない。むしろ、まったく違う分野にいた。
「確かに、この仕事を立ち上げるにあたって、それまで知らなかったWebのことを無茶苦茶に勉強しました。自分の中では、このサイトが『地域に人たちにも有用なものだ』と信じていたので頑張れたと思います」
まったくのゼロからWebを学び、試行錯誤を経て、地域からも検索サイトからも高評価を得ることとなった実績は、芳賀さんの底知れない強さもさることながら、学びに対する真摯な姿勢があったからでもある。
自分にないものは行動と学びで補う
「あまり何も考えず、ただ『やってみたい』と思ったことをやってきただけなんですけどね」
これまでのことについて少し恥ずかしそうに笑う芳賀さん。しかし、さらに話を聞くと、それだけでないことがわかってくる。
「自分のやりたいこと」を思いつくと、その時点で「自分に何が必要か」ということを探り、必要なものを身につけるための行動を常に起こしてきている。
芳賀さんは10代後半で建築金具取り付けの職人となり、29歳で電子部品関連会社の営業職へと転向した。
ちょっとかけ離れた経歴に見えるが、実は、この転職理由が、自分にないものを身につけるために意図した行動でもあった。
「ずっとこのまま職人を続けて、いずれは職人を束ねて会社を興そうと考えていたんです。そうなると、職人としてだけではなく、営業や経理とか他の仕事も覚える必要もあるな、と思って営業職を体験しようと思ったんです」
「それと、10代で職人になってから、ずーっと作業着ばかりだったので、スーツ着て仕事してみたい、という純粋な憧れもありました」と笑いながら、そんな心の内も正直に語る。
将来の展望、純粋な憧れ、その思いを果たしていくために、芳賀さんは電子部品組み立て会社を経営していた父親に相談をする。
父親は、ちょうど営業職を求めていたという首都圏にあった知り合いのプリント基板会社を紹介してくれた。
その会社が、1年ほどで民事再生し別会社に吸収されるという事態などのトラブルといったことにも見舞われるのだが、今度はその会社の取引先であった電子部品商社の社長に声をかけられことをきっかけに会社を移り、堅実に営業スキルを身につけていった。
そして、営業スキルを身につけ始めつつある33歳のとき、ふとしたことで突然山形県に移り住む。
「父親が、ずっと山形で暮らしていたんですよ」
電子部品会社を紹介してくれた父親は、実はずっと山形県で会社を経営していた。長らく単身で山形にいたということもあって、芳賀さんが中学校1年の時に両親は離婚した。その後は父親との交流をしはらく絶っていたが、今後の身の振り方などの相談を機会に交流が再開する。
「父親が住んでいる山形を訪れたとき、山形の風景を見ながら『なんかここで暮らすのもいいな』と思ってしまったんですよね……。そしたら、そのまま居ついてしまいました」
埼玉とはまったく違う景色、そして環境。それをあらためて新鮮に感じたことが、面白そうと思ったらやってみたくなる性格にスイッチが入ったようだ。
「最初は山形で職を探していたのですが、なかなか決まらなくて。しばらくフラフラしていたのですが、あるきっかけで地域Webサイトを運営する会社と繋がり、その事業を庄内で立ち上げることに可能性を感じたんです」
これまでまったく経験したことがないことでも、可能性を感じたら時間もお金も自らの体も、使える原資を惜しみなく投入する。それが、いまの実績につながっている。
止むことのない学びと成長を
芳賀さんのその学ぶ姿勢は、いまもなお続いている。
2022年2月に参加したアチーブメントでの学びは、新たに芳賀さんの気持ちにまた違うスイッチを入れた。
「地域Webサイトはまだまだ可能性があると思っています。でも、それを広げていくにはどうも限界を感じていました」
そんな限界を感じつつ、このまま一人で細々やっていくのもアリかな、と漠然と思いはじめていた。
アチーブメントと出会ったのは、まさにそんなときだった。
これから具体的に自分のビジネスをどのようにしたいのか?
自分の気持ちと繰り返し真剣に向き合い、問いかけていく学びの中で、再び新たな目標が見えてきた。
誰のために何のために生きるのか、自社のサービスを通じて誰を幸せにしたいのかということがはっきりしてきたのだ。
芳賀さんには、小さい娘さんがいる。
「誰のために生きるのか?という問いの答えは、やはり我が子になります。我が子を含めて、子どもたちがより暮らしやすい社会を創っていきたいと思います。
自社のサービスを通じて誰を幸せにしたいか、といえば自分と縁ある人すべてが対象になります」
そのうえで、地域Webサイト運営を含めた自社のサービスによる地域情報メディアを発展、普及させ、「情報を知っている、知らないということでの暮らしの格差をなくす」というアプローチで、その幸せを表現しようとしている。
「これからの子どもたちには、何も制約を受けずに自分がやりたい、と思ったことができるような環境にしていきたいですよね」
そのために、それぞれの家庭はもちろん、家庭の暮らしが根付いている地域自体も過ごしやすくならないと、と思う。
「それと、娘には社長として地域に貢献しているカッコいいお父ちゃんの姿もやっぱ見せたいですしね」
一気に表情を崩し、いかにも優しげなパパの顔となる芳賀さん。
これもまた、大きな原動力だ。
そんな思いとともに、地域発展の可能性を信じてここまで育て上げた地域Webのノウハウを、さらにあちこちの地域で展開をしたいと、芳賀さんは夢を語る。
そのために、自ら学び、人脈を広げる。
埼玉から山形。まったく見知らぬ土地だ。
最初は、地元のネットワークを優先し、大切にし、一つずつ実績を積み重ねていった。まだまだ先がありそうだ、と感じながらも一人による限界を感じたとき、アチーブメントでの学びに出会い、さらに生きる目的ができた。
自分と向かい合い、本当に何がしたいのかを真剣に考えたことで、意識のベクトルがさらに全国へと向かった。
新しいスイッチが入る。
「いま、自分に必要なものは何か?」
芳賀さんは、すぐに行動に移した。
商工会議所青年部の東北ブロックへ出向、仙台の法人会への入会と、まずは東北エリアでの人脈づくりを広げた。
そして、2022年6月には、日本でも有数の異業種交流会であるBNIに入会する。しかもそこでは、東北と程遠く距離を置く関西に拠点を置くチャプター(グループ)に所属することを決める。
「山形であれば、都会への進出先は東京だと思いますよね。でもそれって誰もが考えるパターンだと思うんです。山形から関西への人脈へアクセスする方が、意外性や話題性がありますよね。
もちろん、自分の狙いは地域貢献ですから、都心よりももっと地方に目を向けたい、という気持ちもあります。だから、関西地区の交流会に入ることにはまったく躊躇はなかったですね」
そして、最後にこの言葉を加えて、芳賀さんはにこやかに笑う。
「ダメだったら、やり直せばいいだけですから」
…と言いつつも、その行動は「やり直す」どころか、狙い通りの成果へと結びつこうとしている。
2023年春より、兵庫県神戸市での地域Webサイトの運営に、芳賀さんがコンサルティングとして関わることで、新しく生まれ変わることになったのだ。
芳賀さんの役割は、地域Webコンサルタントとしてのサイト運営サポート。
・競合調査
・SEO対策
・店舗のお客様層に向けたわかりやすいページの提案や制作
・サイト全体の管理
といった地域Webメディアの運営で欠かすことのできない分野を、力強くサポートする。
庄内コンシェルジュを、全国の地域Webサイトの中でトップクラスまで育て上げたノウハウを惜しみなく提供していく。
新しく生まれ変わった
兵庫県神戸市のWebサイト「神戸Boooon」
「情報を通じて暮らしを豊かにする」
この理念の布石を、山形鶴岡市からはるかに離れた兵庫県神戸市に打った。
「やりたい」と思うことに対して、自分が不足していることがあれば、即時に学びの場に飛び込み、確実に行動まで移し続けてきた芳賀さん。
自ら思い描く理想の世界を、確実に創り上げようとしている。
Another Story 〜こんな一面も〜
2023年4月、山形から神戸・大阪への出張での出来事。
移動途中でスーツケースが破損した。
神戸の三ノ宮駅近くのスーツケース修理店で修理を依頼したものの、修理に時間がかかると言われる。
さすがにスーツケースなしでの出張は厳しい。
ということで、修理に出すスーツケースは修理が終わったら自宅へ郵送する手続きをとり、新たにスーツケースを購入することにした。
で、購入したのがこちら。
なんと!
ピンクのハローキティ・スーツケース!!
娘さんが、スーツケースが欲しい、と言っていたことを思い出して買ったという。
精悍なイメージがある芳賀さんとは、あまりに大きなギャップ。
でも、そんな自分のギャップよりも、愛しい娘のことを思い出して、このような行動を取るところに芳賀さんの愛情の深さと優しさが伝わってくる。
その優しさに、「自社のサービスで縁ある人すべてを幸せにしたい」といった芳賀さんの熱い言葉がまた重なってくる。
取材・執筆:白銀肇(ことはじめ/しろかねはじめ)
株式会社いまじん HP