見出し画像

『井戸を掘る人になりなさい。水は、海の深さに通じているのだから』

今日は、昔である方に言われたこの言葉の意味を書いてみたい。
当時私は20代の後半。
『この仕事でよいのか。この職場でいいのか』と迷っていた時に、
ある方がおっしゃった言葉がこの言葉だった。
20年以上たった今、改めてこの言葉は
もっと深い意味となって甦ってきた。
若かった私は、
『自分の追求する道を追求しなさい』
『大きい小さいにとらわれず、仕事の深さと質で勝負しなさい』
というメッセージとして受け取った。

しかし時を経て今またよみがえったこの言葉。
私たちの世の中が
競争や、拡大、お金、
外側の意識に目を向けすぎて
バランスを崩そうとしている今。
どうやって、この全体の海を癒しバランスを取り戻すか
のヒントとしてよみがえってきた。
このことを書いてみようと思う。


私たちは集団の意識を共有し合って生きている。

画像1


現代の私たちは、ちょうど、
この麦の穂の一粒一粒が自分だと思っているようなものだ。
実入りの良い麦。粒のそろった麦。
麦の一粒は、自分の全体は、殻の中につまった部分だけが
『麦』であり、すべてだと思っているようなものだろう。

麦には穂があって、
麦の一粒が、この世に生まれて成熟するために栄養を補給している。

穂を支える茎は、根と葉からの栄養を絶え間なく受け取り
成長を支えている。

根は、麦の一粒、一粒からは遠いが
雨の日も、風の日も、立って物理的に
存在しつづけることで命を支えている。

根のあらゆる末端に存在する
目に目ないほどの根毛は、
絶え間なく水と『麦そのもの』から情報を受け取り
麦を麦として生かしている。

そして、麦の微細な根毛にある細胞も
麦一粒、一粒に宿るあらゆる細胞は、光によって信号を受け取り
いのちを全うするために成長している。

麦の一粒、一粒は、
いのちの完璧なありかたの秩序の中で、
一瞬、一瞬、互いの情報を交換しあい、
生きているように、
私たち一人ひとりの人間もこんな完全な秩序で結びついた
宇宙に生きている。


実は、私たちはあまりに盲目に
競争や目に見える価値に振り回されているので、
自分がこの麦の一粒であったことを忘れているだけなのだ。
『麦』の一粒一粒が絶え間なく
土の下に隠れて見えない世界と
瞬間、その瞬間につながり、情報を交換しあって
存在し合うように、
私たち人間も、つながりあっている。

例えそれが
『目に見える言葉』や
『耳に聞こえる音』で伝えあわなくても
実はつながりあって、響き合う世界を生きているのだ。

私たちが思い出せないのは、
収穫され、切り離されて
店先にならぶ『麦』がかつて
緑の穂をして太陽を浴びていたことを
ただ思い出せないように。
その穂の下には、
豊かな茎と根があって、
いのちを生かし、進化しようと生きている
宇宙の摂理の中に生きていたことを
忘れてしまったように。
ただそれだけのことなのだ。

自分の内側の泉につながり『アワ』のチカラを思い出す

画像2


『自分という意識の奥底に潜っていくことで、
いのちの豊かさを支える海に至るように
智慧とエネルギーの源に通じる』こと。


『個々の人々が、
自分の内側の泉を通じてつながり、
深い意識の波の底でつながりあっている
集合意識に
自分という個人が味わう喜びや
慈しみを跳ね返してゆくこと』


『響き合う井戸の水の意識を
 進化させて
 私たちの大きな海である世界が
 安全に次の時代に移ろえるようにする』
こんな壮大な話にまでつながっているのだ。

『自分の井戸を掘る人になりなさい。』
改めて、あの時に受け取った言葉は
こんなに拾い意味を伴ってよみがえった意味をかみしめている。

このことは、男性や女性にかかわらず、
自分の中にある、
アワの世界(女性性ともいわれる)を取り戻すことにもつながる。

無意識や感性、感じる感覚、自然とつながった感覚。
自分を満たす感覚。
許す感覚。
そこから生まれる直観とひらめき。
このことは、
サヌキ(男性性)とアワ(女性性)の話。カタカムナその(1)
にも書いたので、読んでみてくださいね。
https://note.com/kotoha_kotoba/n/na1ec893a4cb0


陰陽を整え、二元の世界を超える

画像3

今、外側の世界に目を向けてしまえば、
私たちが長らく放置してきた内側の世界のツケとして現れた
混乱が拡大鏡のように大きく、ゆがんで見えている。
ちょうど、
自分の内側に押し殺して、ないことにしてきた
無意識の世界が渦を巻いているカオスになっている状態と同じだ。

拡大された像の先を捕まえて退治しようとしても
影絵人形の悪者を、
影絵の舞台で捕まえようとジタバタしているようなものなのだ。

この混乱を鎮めて、
麦一粒としての本来の姿を全うするには
自分という一粒の遥か下には、根っこがあったこと。
その根っこの下には、
絶え間なく自然のリズムで命の交換をしている
働きがあること。
このことを思い出せれば、
切り離されて、
行く先を見失っている一粒の麦である自分が
落ち着き、本来の麦の緑の輝きを放つのだ。

私たち人間が物質的なこの世に生きて
体験している世界の根っこには、
麦の茎や、根っこ、そして光と水のような
つながっている世界がある。
忘れて、
切り離された枯れた麦のように感じてしまっていても、
麦の記憶の中には、
かつて浴びた心地良い太陽と
豊かな水の記憶が残っている。

私たち人間にも
麦を育み育てる太陽と記憶のように
いのちを生かしている見えない世界、
意識しない世界の働きがいつもはたらいているのだと。

見える世界。
証拠で論証できる世界。
モノの量と速度で勝負が決まる世界は、実は、
冷静になれば本の数百年。
そんな時間よりはるか昔から、私たちの体や
意識しない命のチカラと働きでいきている。

見える世界が行き詰まり
カオスを呈する今、私たちにできること。
自分の泉の奥底に潜るように降りていくこと。
そして
海につながる水の記憶(人間の集合意識)につながって、
一人の人間が『アース』として
カオスのエネルギーを放電しながら、
同時にこの世界を成り立たせている命のエネルギーを
蓄える充電器となり循環させる器となること。

上の写真のように
らせん状を描いて、ともに次の世界へと昇っていこうと
この時期に生まれた存在として
今できる最大のことは、そこなのだと。

このことこそが、
善と悪、
男と女。
生と死。
西洋と東洋。
一神教と多神教。
さまざまに二元の世界に分かれて
極まってしまった今の世界の隔たりの陰陽を整え
おさめていくゆくすべなのだと。





この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?