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マトリックスの向こう側へ

このところ外側の世界で加速度的に進む
管理社会の兆しに
すっかりと暗くなっていた。
『救いはどこにあるのだろう?』とばかりに、ネットをあさり
あさればあさるほどに、絶望的な証拠を見つけてしまう悪循環。
仕掛けられた罠に気づいたハズが、
その結果『自分のエゴが創り出した網にからめとられる』という本末転倒。
世の仕組みを少し前から疑っていたので、
ウィルスは恐怖の対象ではないが、
このところのジタバタの根っこは、
『支配されてしまうかもしれない恐怖』であり
その根底には、
自分は無力であるという根強い自己否定があることに気が付いた。
これってまさしく、人を無力にしておく現在の仕組みに
はまっている証拠だ。
そこから抜けるきっかけになったのは
少し先を歩く人たちの言葉とメッセージ。
古いマトリックスを抜け出し、自分の未来を創るために。
今、希望を見失っている人へのエールと応援を込めて書いてみよう。


ストップモーションの世界

世界的なロックダウンで良くも悪くも
すべてのことが途中のまま、一旦停止モードに入ってしまった。
実は、この強制的なストップモーションに入った時
我が家は、案外とすんなり『ムーミン谷の冬』のように
穏やかな冬眠生活モードにはいった。
童話の中の世界のように静かで、シンプルな生活だった。
既に変わり者を自称し、
世の中を斜めから見ていた自分にとって、
ウイルスの恐怖をあおるテレビや新聞の情報は
既に信じてはいなかったし、
いずれは大きな変化が起きると思っていたからだ。
しかし、冬眠生活の間、外界と自分とつなぐ世界は
インターネットの情報の世界のみ。
良くも悪くも、小さな窓を通して世界を覗き見ることが
生活の一部となっていった。


人は自分の持つ恐怖を外の世界に映す

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多くの人にとっては、目に見えないウイルスの存在が
得たいの知れない恐怖の対象であり、
それによって引き起こされる病や死がその対象であっただろう。
『恐怖』『怒り』に満ちた人はコントロールしやすい。
おせっかいにも、
世に流される情報がいかに疑問であるかの証拠を探し
SNSで流そうとしているうちに、
自分のエゴが創り出した別の網に引っかかったような
状況を作り出していた。
ウイルスそのものの存在や感染力については
さして恐怖は感じないものの、次に展開されるであろう
超管理社会の到来は、まったくやりきれない思いがするからだ。


数個のキーワードで検索をすれば
言語の違う文書でも、知らない人の書いた投稿でも
たちどころにたどり、一定の情報にはたどり着ける。

掘っていけば、出てくるのは、
世界有数の超金持ちによる
超管理国家の到来を思わせる情報が嫌というほどでてくる。
偽パンデミックしかり。
その後のワクチン接種強制化の動き。矮小化するプライバシーetc....

こうした計画が
数々の計画により推進されているのは事実であると考えるが、
問題は、どこに希望を見出せばよいのか?という点なのである。

ちょうど多くの人がウイルスの蔓延による
恐怖にからめとられていたように、
私は、その先にある超管理国家と
強化されたマトリックスから出られない恐怖に
エネルギーを吸い取られる思いだった。



『現実の出来事を通して恐れを手放しシフトする』

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希望はどこにあるのか?
思考を使って考え続けても、
同じ現実を作っているレベルにとどまっている限り
答えはでない。

自分の絶望するようなこの感覚の源は何か?
それはどこからきているのか?
多くのスピリチュアルな世界の人が、
起きる出来事を使って自分を変えてゆくために、
『現実に入り込むのではなく、
それを使って自分の中にある制限や
恐怖に気が付くために使う』
と力説しているのは、
多くの人が見聞きしているだろう。

私の場合は、
『多くの人が気が付かないまま、このまま超管理国家へと進み』
『自分の肉体と生きる状態が支配され管理されてしまうこと』

への無力感と絶望感が根底にあった。
つまり、
『自分が生きる社会の現実を自分が変えることができない』
という無力感が根強くあったのだ。

知りたがり屋の性に従って調べれば調べるほど、
四方を包囲されてしまったような無力感。

気が付かない人の存在や、
圧倒的力をもった権力者や金持ちをこの世に映し出しているのも
分離感を体験するために自分が創り出した幻想という前提に立てば、
今手放すべきは、この無力感。絶望感なのである。

管理される側になり、マトリックスの中に閉じ込められる恐怖。
いろんな恐怖を手放してもなおこの時期残っているこの恐怖。
おそらく、
何度も生まれ変わり、本来来た源の世界から切り離されてしまった絶望感。
孤独感。無力感は、何回もの生にわたって蓄積されてきたものなのだろう。

だが、この感情・無力感こそが
社会のコントロールの仕組みを維持したい存在の思うつぼである。


基本に帰って『今。ここを味わう。』大切さ!

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思考というエゴによって
絶望感に浸るか。
そもそも、絶望感の来る源は何か?
自分が無力であるという思い込み。
将来を憂うる気持ち。

この段階で、はっきり言ってもうずれている。
Be here and now! から遠ざかっているのだ。

3月末にNZでロックダウンが始まって
公に外出が禁止になった時、
正直、ほっとした時のあの感覚を取り戻す必要がある。
公にすべての事柄が止まり、
自分の内側にこもる時間が与えられた時に
内心、ほっとしたのだ。
『先へ、先へ、いつも何かするべきこと。
 道を切り開くべく、するべきことにせかされる』
 ことからの解放。

一生分、いや過去のいくつもの人生の
しこりを解放するために
与えられたこの時間。

習い性になったように
何度手放してもエゴは、しばらくすると
『危険です!大変です!』と外側から情報を拾ってくる。
まるでオオカミ少年だ。

そんな時こそ、
冷静に自分の中を眺め、自分の中のオオカミ少年が
何を怖がっているのか?
その恐怖がどこから来ているのか?を眺めてみよう。
戦おうとすると、本来自分の中にあるものが
外側の事象に映し出されてよくわからなくなる。

スピリチュアル大好きな人も、陰謀論大好きな人も
ここは落とし穴なので要注意。
誰かや、何かのために外側に情報を探しているうちに
その刺激にからめとられて
自分の中心から遠ざかる危険大である。

マトリックスの社会の網を超えて
檻の外の自由の側に泳ぎでるためには、
あくまで外側の事象は自分の内面が創り出した
幻想(あるいは共同の幻想)であると心底わかること。

自分が見ている世界は
良くも悪くもリアル感満載の夢であると見破ったなら
趣味の悪い展開に付き合わされたままではなく
自分の意思で悪夢を見続ける夢の世界から
降りる選択もできるのだから。

危うく出口がわからなくなりそうだった
自分への戒めをこめて、
ここにKuuさんのブログの記事を紹介しておこう。
『狼少年を笑ってあげよう』
自分の中の狼少年、みなさんも気を付けて!









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