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自分の本心がわからない。

私は時々、「自分の本心がわからない」ことがあります。
自分自身のことなのに、変ですよね。

私は自分が関心を持つ物事について、
自分の考えを話しているにも関わらず、
これが私の本心なのだろうか、と訝しむことがあります。

具体例を出すと、このnote自身がそうです。

私は毎日、自分の関心のある物事について書きます。
「私はこうしたい、こう考える」と文章にしています。
でも、書きながら思うのです。

これって私の本心なのかな、と。

理由を3つ考えてみました。
①どこか見聞きした情報をオウム返しにしているだけだから。
②本音と建前の境界を見失ったから。
③私の意識が別の意見同士で葛藤しているから。
ひとつずつ、整理したいと思います。


①どこか見聞きした情報をオウム返しにしているだけだから。

人間は成長過程で各々、独自の思想を持つようになると思います。
ただ、この独自の思想のうち、自分オリジナルのものは
どれ程あるのでしょうか。

勿論、私達は実際に経験をして、
様々なことを学習します。
そのような「実学」であれば、
まだ自信をもって人前でも言える気がします。

問題は「実を伴わない知識」です。
自分は体験していないけど、
誰かが言っていたことや本に書いてあったことを見聞きした場合、
こちらに該当するかと思います。

そういった知識は誰かの実学がシェアされた状態のため、
もっともらしい知識だし、実際に役に立つことも多いです。
でも、それは私の手垢のついていない知識です。
そのような知識を私は応用することができません。
その知識はもしかしたら使用上の注意だって、あるかもしれません。

そういった知識を口にするとき、
私は自分の声が他人の声に思えたり、
どこか上滑りしてゆくような気持ちになります。

私は無意識ではありますが、もっともらしい知識を仕入れて、
オウムの様に繰り返している時があるかもしれません。

②本音と建前の境界を見失ったから。

本音と建前は本来、異なるものだと思います。
私自身はどちらかというと本音が好きですが、
生きていくには両方必要とも思うため、
この2つに優劣は特につけていません。

例えば、職場で雑談しているとします。
そして、何か意見を聞かれたとします。
その時、私は本音はNoでも、
場の雰囲気的にYesということがあります。

相手が真剣に悩む重要な決断や、
相手が親友とかでなければ、
相手を否定して傷つけたりしなさそうな選択をします。
先に白状しておくと、これは相手への優しさではなく、
ただの自己保身でそうしています。

その選択をした結果、
私は本心と違うことを建前でいうことがあります。
更に悪いことには、建前と気づかれたくないから、
建前の理由や根拠も話したりします。

実際、AとBの選択肢があったとして、
100%がAとかではなく、
60%はAで、40%はB、ということが私は多いです。

この場合、私の本心はAですが、Bも40%は良いと思っています。
そして場の雰囲気的にBと言った場合、
良いと感じた40%を膨らませて理由を話しているので、
内容自体は私の本心の一つではあります。

そんなことをしているから自分自身の本心を
見失ってしまうのですね。
この行動は体に染みついた癖なのですが、なおしたいです。
自分から都合の良い人間になりに行く行為は、
多分、相手にも自分にも良くないと思うからです。
まだ、ただの直観の段階ですが、そんな気がします。

③私の意識が別の意見で葛藤しているから。

これは②で少し出てきましたが、
AとBの選択肢で、60%はAで、40%はB、の話です。
私が優柔不断な性格であるため起こります。

あと、顕在意識と潜在意識の葛藤も少しあるのかな、
とも思っています。
潜在意識は顕在意識である私には認知できないので、
あくまで私の想像の範疇を出ない話です。

私は専門家じゃないからわかりませんが、
顕在意識と潜在意識も葛藤することは
あるのではないかと考えています。

なぜなら、理性と本能の狭間で人間は葛藤するからです。
意識の領分をはっきりと分けることはできませんが、
どちらかといえば、理性は顕在意識、本能は潜在意識、
それぞれの領分に多く存在すると私は思っています。

通常、顕在意識と潜在意識は相互扶助の関係だと思いますが、
複雑な問題に相対した時、葛藤することもあるのではないかと思います。

以上、私が本心を見失う理由を3つ、考察してみました。
とんだ自分語りにお付き合いさせてしまいすみません。

また、書いている途中で別の考えが浮かんだのですが、
本心がたった一つであるという考えが、
私の誤った思い込みであるのかもしれません。
本心が無数にある可能性だってあります。

ここまで読んでくださった方はほぼいないと思いますが、
いらっしゃったら、私の拙いもの思いを読んで頂き、
ありがとうございました。



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