121.無理に「良い話」にしなくて良いと思ったこと。

こんにちは、kotohaと申します。

私が創作していた時に思っていたことがあります。
それは「悲しい話を悲しいまま終わらせるには勇気がいる」ということです。

例えば、楽しい内容の歌詞の曲であれば最初から最後まで楽しい雰囲気でも成り立ちます。勿論展開をつけても楽しく聞くことができます。
でも、悲しい内容の曲を変化もつけず悲しい話のまま終わるのは、世の中にそのような創作があると知りつつ、私にはとても難しかったです。

何故私の場合難しくなるかを考えたのですが、結論から言うと余計な気を回すためでした。私は悲しい歌詞を書いている時、最後は完全でなくても「救い」の要素を入れなくてはいけないという固定観念がありました。それは聴いてくれる人を悲しい気持ちにしたくないという、私のエゴでした。

悲劇を乗り越えて最後に幸せになるような話は、受け手にとって受け取りやすい内容ではあると思います。でも、現実はそんな話ばかりではありません。悲劇は悲劇のまま、治らない傷を抱えて生きている人は沢山います。

悲劇を乗り越えて最後幸せになるような話は、人に勇気や希望を与えます。でも、悲劇が悲劇のままの話だって、苦しんでいるのは自分だけではないという気づきを得た時にささやかな癒しがあります。

こんな話を書いておいてですが、私は悲劇より喜劇が好きです。
でも、だからといって世の中の創作が受け取りやすく大衆受けの良い話ばかりになってしまうのは少し寂しい気持ちがします。

たくさんの人に見てもらう目的の創作であれば、ある程度大衆受けに寄せていった方が良いです。でも、あくまで個人的な表現としての創作であれば、自分の好きなように作れば良いのだと思います。

だから、私は自分の創作を無理に良い話にしなくて良かったのだと気づきました。勿論良い話にしたい時はそれでも良いです。
要は、好きにすれば良かった。

当たり前の話ですが、書き残したくなったので書きました。
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読んで頂いて、ありがとうございました。それでは、また。

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