いまいる「きみ」へ。そしてこれからの「きみ」に。
ついに決めました。
おそらくこれが「終の車」。
子供なし、最終的には一人しか乗らない、
正直
それほど車に詳しくないから
めっちゃくちゃ欲しい種類もなかった所からのスタート。
世の中の人それぞれに選択する基準が存在するであろうと思うけれども、
2024年今現在、わたしが選ぶ最低限の部分は。
ただ、今いるたった1人の家族である、母が乗り降りがしやすい車。
ステップの高さ。乗り降りにこの高さはどうなのか?
展示会ではまずは後部座席で乗り降りのシュミレーション。
今は「これくらいの高さ、大丈夫っしょ。」と見ている高さを
今の母みたいに、「どっこいしょ。」と注意して足を上げる時がきっとやってくる。
まさか、そこだとは思わなかった。
電動スライドドアだって力がなくなってきた母がボタン一つで開け閉めができるから。
「わたし」ではなく「母」が基準になろうとは思ってもみなかった。
「わたし」の「終の車」だけれども、
これからの「きみ」はきっと「母」にとっても「終の車」なのだ。
そんなわたしも今は全くなんともなくブレーキペダルを踏んでいても、
これからは「反応」が鈍くなる、そんな時が絶対やってくる。
次に「きみ」を選ぶ時期があるとしたら、究極は
車に乗るか?乗らないか?になるにちがいない。
そうなんだ。
「もっさり」動くとか、「可愛い車」とかは二の次なのだ。
それはわたしの中に残っている「若さ」だ。
これから長いお付き合いになるであろう、「きみ」には、
これからどんどん衰えるであろうわたしをサポートして欲しい。
主張しすぎなく、優しくそっと寄り添って欲しい。
車庫入れする時、
距離感の感じ方をさりげなく「オーライオーライ」と
導いて欲しい。
「いいね、いいね。もうちょいいけるよ。」って
わたし専用の警備員さんになって欲しい。
そして、1年でも長く、後ろに母を乗っけって、
走って欲しい。
あっちこっちに出かけて思い出が増えればいい。
そしていまの「きみ」にも言っておきたい。
毎朝、エンジンをかけるたび、
だんだんと「きみ」を知るような気がする。
今まで、なんの気無しに運転していたね。
エンジンかければ走るのが当たり前と言ってしまえばそうだけど、
「きみ」は「きみ」なりにわたしの生活を守ってくれていたね。
さあ、「きみ」とのカウントダウンもなおざりにはしないよ。
その子がくるまで、よろしくね。
17年、ご苦労様、と言う日まで。
発注しました。
特別仕様車なのは、わたしのささやかな若さ。
「特別」によわい。
近所であまり見かけない、それがちょっと優越感をそそる。
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