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終の車をえらぶ。

私は機械全般弱い。

例えば。

夏に海辺で貼るテント、ひねると丸くなって、ショルダーバックみたいに持ち運べるものを「片付けといて。」と言われた時、わたしはつくづく2Dの女だと思った。

一昔前の、地図が読めない人は地図をグルグル回すという説、あったね。ぐるぐるまでは回さないけれども、その気持ち、よおくわかると思ったもんだ。しみじみ。

テントのお片付けが、大ならば、小といえば、クッションファンデ のレフィルの入れ方とか?

まあ、そもそも2Dの頭だから仕方ない。

力の加減というのもなかなかハードルが高い。小さいネジ山を壊すまで回したことがあるな、しみじみ。

自分が信用できないんだな、きっと。いや、自分をよおく知っているんだな。

そんなわたしに大きな買い物がやってきた。

車だ。

今の車は気がついたら17年目。もう直ぐ高校卒業の年くらいになっていた。

17年。

数字に気がついてしまうと不安になってしまう。

熱がある時、体温計の数値で具合の悪さ倍増と同じ原理だ。

100万キロ走行した車のニュースを見た時には、「ハラハラドキドキしないのか?」と思ったものだ。愛情>ハラハラドキドキなんだろうな。

キロ数も年月も足元にも及ばないけれど、愛情はある。

ただ、冬の朝、「カタカタ」という音を聞いた時、「ぶぶぶぶーーー」と低音の唸り声を聞いた時、愛情<不安の日々が多くなってきた。

不安の元、それは無知のなせるわざ。

車に詳しかったら、何らかの不調を察してくださいな、という車の意思表示に論理的に「それは大丈夫だろう。」「いや、この音はどこどこの部品の不調?」とか切り分けができるはず。

まあ、17年。そろそろ終の車を逆算する時、なのかもしれない。

何歳まで生きるか、なんて神のみぞ知る、だけれども、何歳まで運転するか?はおおよそ見当がつく。田舎で、バスがないからある程度の年齢までは運転をせざるを得ないだろう。自分の衰えを基準に幕引きの年齢は80歳。

後20年。

今の子よりも3年長い。ただ、今よりも運転する時間・距離はグッと減るはずだ。となれば、今の子が「あたり」であれば終の車になる。

そもそも今の(あえてそう言おう。だってわたしは17年前の車を運転しているのだから)車の運転を覚えられるのか?スマホが覚えられるのか?となかなかガラケーから脱却できない人のことを言えないではないか。

カタログで自分の欲しいものをセレクトして加算式で車の代金が決まる。これもこれもと選んでいたら予算オーバーになった、と友達が言っていたのは何年前か?
そもそも欲しいもの?

欲しいもの。

ワイドバイザー、雨の時も窓をあけたい。
ライトはLEDがいいな、夜の運転は明るい方がいい。
TV は要らないけれど、ラジオは欲しい。
ナビ、そうね、それはあった方がいい。

そうそう、重要なこと。

今の軽でも暴風雪の時、煽られて怖い思いをしている。軽で背が高いとやっぱり煽られるんだろうな。そこは確認しなきゃ、だな。

今の車は右折する時、窓のデザインなのか見にくい。右折が見やすい車。


こんな条件、若い時、言っていたかな?

終の車は2Dのわたしにやさしいと良いな。
そして、今の子以上に丈夫で長生きでいて欲しい。









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