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最近のXくんについて

最近、Xのアルゴリズムが変わったのか、やたらとRTが増えて、フォロワーが増えた。

『フォロワーの数は、頭に突き付けられた拳銃の数』と古くから言われており、わたしは現在、約5000人から銃口を突き付けられている状態となっている。 

「その数でビビりすぎでしょ」と鼻で笑う人もいると思うが、5000人の前で話をしてるんだと思うと私は怖い。5000人は普通に多い。嬉しいけど、普通に怖い。だって、普通に生活してたら5000人の前で話すること、まずないし。

そして、怖いと思うことはどうしていつもこんなに面白い。「怖い」は、なぜかいつもちょっと楽しい。私の人生っていつもだいたいそんな感じだ。

それはそれとして、
特にフォロワーを増やして有名になりたいと思ってるわけではないので、いいねが増えようが減ろうが私の言いたいことは変わらない。

本当に大切で嬉しかったことはインターネットなんかに書いてやらないもんね〜と、持ち前の反骨精神をむき出しにしてインターネットを嗜むようにしている。
唾を吐きかけるアルパカのごとく、活動力の中心はいつも「なめてんじゃねぇ」が鎮座。本当に大切なことは、たとえ誰も見てくれなくても自分がわかっていればそれでいい。それだけは忘れちゃいけない。

いいねをもらえるのは素直に嬉しいが、いいねの奴隷になったら意味がない。そうなってしまった場合は「どうでもいいね」の烙印を押されて、即刻インターネットを退会する必要がある。私の言葉はどうでもよくなんかない。どうでもよくなんかさせるものか。だから私は絶対インターネットをやめない。


最近、引用RTが苦手だと気が付いた。だからミュートしてあまり見ないようにしている。 何百何千と人の意見が一気に脳に入ってくると、元々スペックが高くない私のCPUがパンクしてしまう。
人の意見を聞き過ぎると、自分が元々言いたかったことから話がズレる感じもある。あと他人からの指摘がズレ過ぎてて、つい反論したくなる時が多い。

しかし、所詮ここはインターネットのガンジス川。

うんこも死体も金言も、同じように流れている場所なので、いちいち反論したり補足していたら楽しさは半減してしまう。

いちいち言い返してケンカするのは闘牛場にでもまかせて「うぃーっす」くらいの気持ちで、ガンジス川を流れる船に手を振るなり、流れる死体を眺めたり、安全対策を講じた上で沐浴してみたりなど、適度な距離で嗜むのが1番いい。議論はこの世で最も大切な行為の一つだが、私がしたいのは議論ではなくツイートだ。日常の生活の中で感じたことを呟きたい、時々誰かに共感してもらえたら嬉しい。ただそれだけなのである。

たいした主義や理想があるわけでもないのに、よくもまぁ飽きずに毎日毎日Xをやっているよなぁと、我ながら呆れる。でも、大好きなんだよな。自分ひとりではおおよそ知り得ない体験や感情がたくさんあって。

本を読んでも映画も観てももちろん面白いけど、他人の頭の中がこんなに見えるコンテンツってなかなかなくない?

十数年やってるけど、いまだにまだ楽しい。Twitter、いや、現Xくん。
なんて面白いコンテンツなんだ。他人の同士の脳みそに電極付けて、みんなの脳内を覗き見て合ってるみたい。その中で、この人のコレは本当なんだろうなーとか、この人急に見え張り出したなーとか、この人最近幸せになったんだろうなーとか、この人はいつも素敵な考え方にをするよなーとか、ぼんやり眺めて過ごす。一人暮らしの生活にXくんがいてよかった。静かな部屋がイヤでテレビを垂れ流している人と多分おんなじ感じで、毎日Xに流れる大量のひとりごとを、私は楽しんでいる。

ついつい攻撃的な言葉を使ってしまったり、強い言葉が出てしまったりもするけど、出来るだけマイルドに。穏やかに。気の合う仲間たちと共に、このガンジス川を漂い続けたい。

このお金で一緒に焼肉行こ〜