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Super 懺悔ちゃん

noteを読みました、というアカウントからDMを頂いた。

今度こういうコンテストをやるので、よかったら応募してみませんか、というお誘いで、テーマは「あなたが影響を受けた人物」についてだった。

毎日スパムDMからのデートのお誘いをブロック&削除する日々だったので、向こう側に人間の気配のするDMはめちゃくちゃ嬉しかったし、お声掛けいただけたことが素直に嬉しく、さっそく書くぜー!と意気込み、数日間考えて下書きを作った。

でも、書けば書くほど、その人に迷惑がかかるのではないかと心配になってきて、私のような人間がこの人のことを取り上げて良いのだろうか、迷惑ではないだろうか、厄介オタク過ぎないだろうか、などという思惑が脳内を駆け巡り、とうとう書き上げることができなくなった。

喜んで欲しい、というエゴ

こんなふうにあなたのことを尊敬して、影響を受けた人物がここにいますよ、ということを、本人に伝えたくて、知って欲しくて、こういう文章を書きました。と、自分が思っていても、

相手からしたら「知らないBBAがめちゃくちゃ推してくる、文章長い、キモい」だったらどうしよう。と真剣に思った。

私は今まで「陰ながら応援しています」という表現が嫌いで、応援してんなら表立って応援すべきだろ、と本気で思っていた。
でも最近、「それって本人からしたら迷惑なだけなのかも」と思うことが増えてきて、自信をなくしている。

セクシー女優のツイートに長々と「好き」をこねくり回した文章でぶつけてくるオジさん達を見かけるたび、
自分も応援している人にとっての「それ」になってはいないだろうか、と心配が芽生えだす。

可愛い素人のコスプレ女さんのツイートに「メイク濃過ぎ!笑」とか「誰とお出かけするのカナ?!彼氏だったら許さないゾ(笑)」とか書き込んでるキッッショイ男さん達と同じような“好き過ぎてイジリ”“イジリという害悪行為”をしてはいないだろうか、とふとした瞬間我に帰る。

もちろん心から尊敬してたり憧れてたりするだけで、決して悪意はないのだけれど
相手が不快だと感じたなら、それはこちらの罪になるわけで。

色々考えれば考えるほど、
他人への「好き」すら気軽に言えなくなるんだなぁというか、伝え方を考えて表現をしなくちゃいけないよな、という当たり前の事を、改めて痛感したのでありました。

何かを書くということは、
TOで本人に送るものではなくても、巡り巡ってなんかのタイミングで本人に読まれたとして、ちゃんと喜んでもらえるようにしたい。喜んでもらいたい、と思ってしまう。

喜んでもらいたい、なんて、身勝手エゴなのかもしれないけど。

自分が人間である以上、大なり小なり加害性を持ってる事を忘れてはならない。
そんな難しいこと考えないで無邪気に「ちょー好きです!応援してます!」とかつい最近までズケズケ言ってたのに…。なんだか最近色々思うことがある。

とにかく、迷惑になることだけはしたくないんだよなぁ。

このお金で一緒に焼肉行こ〜