戦前名古屋に存在した芸妓置屋組合「南連」とその歴史①
はじめに
”名古屋市の副都心” とも呼ばれる名古屋・金山地区(熱田区、一部中区)。同地にはJR、名古屋鉄道(名鉄)、市営地下鉄の各路線が乗り入れる金山駅(金山総合駅)があり、通勤・通学者、買い物客などで常に混雑するなど、名古屋市内でも特に人通りの多い場所である。駅周辺にはオフィスビルや商業施設、飲食店、その他風俗営業関連店舗、ラブホテルなどが存在し、歓楽街としての一面を持つ地域となっている。
現在の金山駅南東部の一角にはかつて「南連」と称する芸妓置屋組合の本拠地があり、周辺には大正期から戦前昭和期にかけて料理店(料亭)、飲食店などが集まる歓楽街が形成されていた。しかし、現地にその存在を窺わせるものはなく、名古屋市民はもちろん、現地でもこの地に芸妓街があったことをご存じの方は非常に少ない。今回はこの芸妓街の歴史がテーマだ。限られた史料からどこまでその姿に迫れるか、私自身もかなりのチャレンジである。
芸妓置屋組合「南連」について~当時の史料から
芸妓置屋組合「南連」がいつ組織されその名称が使われるようになったのか、今回の調査で正確なところはわからなかった。しかし、一帯には大正初期の時点で既に芸妓置屋、料理店が存在し、芸妓街(歓楽街)が形成されていた。まずは史料上に残る記述を整理していきたい。
上記【1】、【2】はそれぞれ1937年(昭和12年)、1938年(昭和13年)の史料である。【2】では1938年(昭和13年)の名古屋市内の総芸妓数は2,222人と記録されており、南連の芸妓数36人は総数の1.6%程、かなり小規模な組合であったことがわかる。
昭和初期の『全國花街めぐり』【3】、『百万・名古屋』【4】では市内の各連妓(芸妓置屋組合)が紹介されているものの、南連については触れられていない。このことから、南連という名称の組合は昭和10年代前半頃に組織された、あるいは当時連妓としてカウントされないほど小さい団体であったとも考えられる。
次に、1935年(昭和10年)の職業別電話帳【5】を確認した。一帯の芸妓置屋として掲載されていたのは下記の4軒であった。所在地は南区熱田東町宿亀、澤上となっている。
戦後、1952年(昭和27年)に刊行された『名古屋南部史』【6】は戦前名古屋を知る貴重な史料だ。同書はタイトルの通り名古屋市の南部、熱田神宮を中心とする現在の熱田区、瑞穂区、中川区、港区、南区5区の歴史をまとめたものである。古来から熱田神宮、熱田湊、東海道の宿場町「宮宿」を擁する熱田の町は近世に成立した城下町、名古屋とは異なる歴史と文化を持っており、「こちらが中心地だ!」と言わんばかりの、ある種のプライドすら感じさせる重厚な郷土史刊行物である。
同書には熱田連、南連、八幡共立連、八幡連、港連の5組合を「南部の五連妓」とし、1937年(昭和12年)から1938年(昭和13年)頃の南連について次のような詳述がある。
また、1919年(大正8年)の新聞記事【7】には南連という名称はないものの、澤上に芸妓置屋、料理店、また酌婦の存在が確認できる。この澤上とは隣接する宿亀を含んだ一帯の呼称であったのか、あるいは当時、澤上にだけ置屋があったのか、それ以上の詳細は不明である。
1919年(大正8年)は愛知県の芸妓街にとって大きな変革期でもあった。同年4月18日、愛知県は県令第48号『芸妓芸妓置屋取締規則』を発令、芸妓置屋と芸妓に関しての取締規則が定められたのだ。当時の新聞記事【8】によると、
と無秩序な状態であったことを窺わせるとともに、当局が今後、芸妓置屋を国道沿いから離れた「指定地」に集合させる予定であったとしている。現段階で指定地の具体的な地名や条件、移転が完了した時期など詳細について示された史料は発見できていないが、澤上方面にあった芸妓街が当局の取り締まりにより、宿亀一帯にまとめられた可能性も考えられる。
当時の新聞では金山連という置屋組合があったとされており、これが宿亀、澤上の組合の名称であった可能性もある。
ここまで紹介した史料から読み取れるのは、現在の金山駅南東部に位置する澤上一帯に1919年(大正8年)時点で芸妓街(歓楽街)が形成されていたこと、また昭和10年代前半頃から南連という組織名が確認できるということだ。
史料は少ないが何とかなりそうかな…と思いながら次回、②に進めていく。
②へ続く(近日公開)
次回は当時の市街図、現在の宿亀・澤上跡地の様子を紹介する。
【2024年(令和6年)6月、ことぶき作成】
※本記事は2024年(令和6年)6月現在収集した史料、情報を基に作成したものです。新資料や誤りがあった場合は随時更新していきます。
■参考資料
【1】稲川勝二郎『歓楽の名古屋』趣味春秋社 ,1937年(昭和12年)
【2】『花柳病診療所関係綴(昭和十三年起)』名古屋市財政局、厚生局,1938年(昭和13年)~1941年(昭和16年)
【3】松川二郎『全国花街めぐり(上巻)』誠文堂 ,1929年(昭和4年)(渡辺豪,カストリ出版,2016年(平成28年))
【4】 島洋之介『百万・名古屋』名古屋文化協会 ,1932年(昭和7年)
【5】『名古屋職業別電話帳 昭和10年度版』逓友協会,1935年(昭和10年)
【6】『名古屋南部史』名古屋南部史刊行會,1952年(昭和27年)(名古屋南部史 (愛知県郷土誌叢刊)臨川書店 ,1987年(昭和62年))
【7】『名古屋新聞』名古屋新聞社 ,1919年(大正8年)8月23日
【8】『新愛知』新愛知新聞社 ,1919年(大正8年)4月20日
■図・写真
【トップ画像】稲川勝二郎『歓楽の名古屋』趣味春秋社 ,1937年(昭和12年)愛知県図書館蔵
【図1】稲川勝二郎『歓楽の名古屋』趣味春秋社 ,1937年(昭和12年)愛知県図書館蔵