厭世的

最近は、朝起きてから読書をしている。
以前から読書はしていたが、一度実家を離れてから、どうも読むという行動に至るまでギアが入らない感覚で過ごしていた。しかし、最近は何かしなければならないという観念が自分を読書に向かわせている。
おかげで読書を再開してから約1ヶ月で18冊の小説を読んだ。もちろん何もしていないからこそ確保できる長い読書時間だ。
しかし、結局は労働から逃げ続けていることは変わらない。何かしなければならないが、労働からは目を背けながらも何かをした気分に浸るための当てつけの読書だ。
しかし、読書はするだけ良いと聞くので続けることにする。

そんな中、小説を読むとわからない漢字がよく出てくる。特に自分がわからない漢字の類は心の状態を表す漢字だ。
厭世的(えんせいてき)なんて言葉を初めて知った。意味としては、人生に悲観し、生きているのが嫌になった様を表すそうだ。
日頃感じる何とも言えない心の様をこんな簡略化し言語化し、存在していることへの驚きと発見と知的好奇心が更に高まる分、改めて言葉の引き出しの少ない自分に、まさに厭世的になる。
小説を読んでいると、読み方と意味がわからない漢字があった時は主人公の気持ちが汲み取れず、焦ったい気持ちで文を読むが辞書で調べて意味を理解してから、その一文を読むと非常に清々しく状況や状態が汲み取れるので、さらにその次がどんどん気になってくる。
その感覚が非常に楽しい。
最近は、難しい漢字が出てくれば出てくるほど一つ賢くなったような気になり、この知的好奇心を満たすことに金銭報酬が発生しないかなとうっすら願ったりしている。
色んな小説を読み色々な価値観なども勉強するが、金銭報酬が発生しないかを考えてしまうこの甘えた価値観を全くもって改める気配がない自分に厭世的になる。
それに、漢字を勉強するが本を一冊読み終えると、学んだ漢字をもうすでに忘れてしまっていることの方が多い。
「厭世的」は奇跡的に覚えていたほうで、他の言葉は思い出そうにも覚えていないし、改めて漢字を見ても、初めて見たかのような気持ちでまた調べ直すと思う。
自分の脳の容量の無さに、更に厭世的になった。
しかし、良かったこともあって。読書をしていくうちに、なにか挑戦したいという気持ちに数年ぶりになり、自分でも少し短めな小説を書いてみたいという好奇心が芽生えた。
しかし、読み手には何度もなったが、書き手には一度もなったことがない。まずプロットという物がどういう物なのか全くわからず、テーマも特にわからない、しまいには何を書きたいのかもわからない。
その時点で自分には物を作ったり、書く能力がないのではないかと考え、更に厭世的になった。

この読書習慣で手にしたことは「厭世的」を知っただけであった。


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