「」の外で

なぜ俺は俺が死ぬことを知っているのだろう
「いつかは死ぬ」ことをなぜ「知って」いるのだろう
それは情報として?もしくは記憶の中に?あるいは本能として?

俺が「本当に」死ぬのであれば
俺は「本当に死ぬのか?」などと疑問を抱いたりはしないのではないだろうか
などと憶測に頼るのは俺が所謂「人間」だからなのかもしれないが
「所謂人間」のこの俺に植え付けられた情報も記憶も本能すらも
死を正当に判断できているとは言えないと「俺」は思う

「人はいつか死ぬ」
そんな分かり切ったことをどうして知っておかねばならないのか
「なぜ」「どうして」と考えることに本当に意味はないのだろうか
どんなに考えても分からない「答え」を導き出せる人間などきっとそうはいない
それでも「分かって」おかねばならないことがある
「俺はいつか死ぬ」
そのことに「なぜ」も「どうして」もない
だからなのかもしれない
分かり切ったその答えにまだ異を唱えようという俺はもうここには「いない」

(2021.12.30)

読んでくださる方にとって、いいと思える「詩」が一編でもありますように。