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書くということ

書くことを最初に本格的に学ぶことになったのは大学に入ってからである。

わたしの場合、法学部である。

答案を書く。

レポートを書く。

論文を書く。

レジュメを書く。

法律分野に関して言えば、
必要なことを
簡潔に
わかりやすく
表現することが、第一義となる。

ところが、
最初は、

何が必要なことか
どこまで簡潔にしたらいいか
わかりやすいとは何か

全くわからない。
初学者ほどわからない。
かといって初学者のままいれば
いつまで経っても書けるようにならない。

そこで多くの法学徒は学びながら書くことを繰り返し、延々と優れた法律論文や答案などを読み込みながら、自分で試行錯誤しながら文を書くことを学んでいく。

何年かすれば、それなりのものが書けるようにはなる。でもまだまだである。

わたしの恩師にあたる方にK教授という方がいた。

裁判官を長く勤めて来られ、最終的には長官職まで務めた方である。憲法、刑法、刑事訴訟法に関する論考は数知れず、今も多くの方がこの論文を参照するような方である。

どうすれば良い法律文書か書けますか?
とお聞きすると、
「判事補になったって、
5年や10年ではまだまだだ。」
判事補は裁判官になって10年目までを言う。

「判事になり、やっと少し書けるようになり、任官して20年くらい経てば、ようやくマシにはなる。」

「そこから研鑽をさらに重ねて、ようやくまともな文を書けるようになる」

そんな話をされていた。

やはり並大抵の努力をしてきた方ではない、凄みがある。

書くためには書くしかない。
良い文書を読みながら、書くことを繰り返す。

そんな話を聞いて、とにかく頷くしかなかった。

書くのは難しい。
でも書き続ける。

今日も書く。

ではまた。

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