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努力するということ


頑張って努力する。
素晴らしい!
いいことだ!
苦しい中、とても立派だ!

だいたいそういう反応が多いですね。

ところがです。

頑張ってる本人は
病気になる寸前まで追い込まれて
やっとなしている場合があって、
往々にして他者からは
その苦しさは見えないことが多いのです。

何を隠そう、わたしがかつてそうでしたから。

周りの誰も気づかない。
元気そう。そんなふうに見えなかった。
そんな反応が多いのです。

唯一気づいたのは、母と、大学時代からの友人。
この二人だけです。

ということで、「頑張って努力してる人」本人のこころの内実を見たいわけです。

努力を二つに分けてみましょう。

楽しい努力。
苦しい努力。

楽しい努力ってあるのか?

あります!

かつて大学院にいた頃、
苦しい努力ばかりしていました。
やればやるほど苦しくなる。

追いつかない。
間に合わない。
知識がない。
まとまらない。
書けない。

ないない尽くしですね。

これはいかんとあるとき思いまして。

そこで楽しい努力というものがあるのか。
どうしたら楽しい努力ができるか。
徹底的に3ヶ月くらい歩きながら考えました。

わたしが得意なこと。
人に何かを教えること。伝えること。
人から何か聞いてもらうこと。

だとしたら、自分で学んだことを人から
聞かれるような仕組みを作ろう!と。

仲間の中で、積極的に質問を受けるようにして、
必死に答えられる準備をするための勉強を
重ねました。

誰かのためにやることだから、
手を抜けないし、
感謝されれば嬉しい。

やがて、噂が広まり、聴きに来る人が多くなる。

学友たちができる人だと、努力してる人だと認めてくれる。

そんなことを延々と繰り返してると、努力は楽しい努力になりました。

必死に自転車操業で答えていた最初に比べると、半年くらい経つと、余裕を持って答えられる。
考えられる。

最初はある種「できる人を」をぎこちなく演じてただけだったことが、本当に成績が上がり、できる人になって、成績が爆上がりする。

一橋大学の楠木建先生は、ブログの中で、「無努力主義」という話を書いておられますが、まさにそれ。

楽しさを生み出す循環を自ら作り出すことで、とんでもない無努力主義に到達する。

楽しいから、どんどんやる。

人のためになる。

そんな循環。

わたしの場合の起点は、
人に何かをわかりやすく話すこと。

そこから、渦を作り、大きく変化しました。

ここまでくると、努力を努力と思っていません。

「無努力主義」の完成です。

こんなこともある。

楠木先生のいう、「努力の娯楽化」

自分の得意な何かを発火点にして
努力なるものを始めていくと、
努力の娯楽化につながるのかもしれません。

一橋大学、楠木建先生のブログはこちら。

仕事の一般原則

仕事の特殊原則:無努力主義


ではまた。

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