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LIVE AID 2020はないし、ヒーローも来ない

今朝のストリーミングライブを見た。
新型コロナウイルスと格闘する、医療従事者やエッセンシャルワーカーに感謝を示し、外出を自粛する市民を激励する、一大音楽イベント。Billie EilishやTaylor Swift、Lady Gaga、Rolling Stones、Paul McCartney、John Legendなど、欧米の著名アーティストがリモートで多数参加する、超豪華なラインナップだった。ABCとNBC、CBSの3大ネットワークが共同し、YouTube Liveや Amazon Prime Video、Facebook Live、Twitterなどでも幅広く中継された。Sheryl姉さんステキでした <3

今回のライブは、スケールでいえば、70年代のウッドストックや、80年代のLIVE AID並みの、一大音楽イベントだったと思う。ただ、そこに当時のような熱狂があったかどうかは別だけれど。

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ちょっとえげつない見方で振り返れば、『望んでるものがいつも手に入るとは限らない♪』という歌に『自宅隔離なんだから当たり前じゃん』というツッコミを入れたくなったことではなくて、それを歌っていたのが、望んだものを手に入れ尽くした、今も恐らく感染のリスクが少ないミュージシャンだってこと。でも、それも別にいい。Charlieが叩くのが箱なのも面白かったし。

それよりもふと頭を過ぎったのは、医療従事者やエッセンシャルワーカーをヒーローとして賞賛する欧米と、絵描きさんたちを叩く日本の間に、どんな違いがあったのかということ。誰がいいとか悪いとか、正しいとか間違っているとかでなく、緊急時のエンゲージメントのメソッドとして、一体、何が違ったのか?
スケールなのかアプローチ、マネタイズ、危機の度合い、市民の危機感、政府の補償、民族構成、文化なのか?もちろん、それが全部違うんだけれど、じゃあ逆に何が共通していたのか?


今年は、LIVE AIDから35周年。当時と今日のライブイベントの決定的な違いは、チャリティーかどうかや、インターネットやスマートフォン、ソーシャルメディアの有無ではない。救済するのがアフリカの飢餓ではなく、自分たちの日常と将来だという点だ。『助けてあげる』対象が、テレビの向こう側ではなく、突然、自分自身になってしまった。スイッチをOFFにして忘れることができない。

過酷な状況にあっても、人を突き動かすのは、いつも感情だ。結局、『あなたたちは、金と物資、人がいなくて私たちが苦しんでいることに対して、抗議の声を、上げているのですか?』という叫びに、自分はどう応えているのか。『私たちのように汗や涙、血を流してくれているんですか?』『本当に、私たちと一緒に闘ってくれているんですか?』という声は、自分の身近なところから聞こえてきているんじゃないのか?そして、助けが欲しい自分は、見栄や恥も捨てて『助けて!』と叫ぶことができるのか?

『今は争っている場合ではない』という台詞が本当に虚しい。LIVE AID 2020のような、郷愁とお祭りの余裕などありはしないのだ。なりたくてなっているヒーローやヒロインもいない。
Stay Homeはある程度受け入れられても、近くても遠くても自分を取り巻くWorldは、もう二度とOneにもTogetherにもなれないほど、分断されていくのかもしれない。だとしたら、そのことを前提に、個人の考え方をシフトさせるべきなのかもしれないけれど、未だにそんな心境にはなれない。ライブコンサートの熱狂がないなんて…

ただ、何とかできるだけ悲観的になりたくはないのだ。だって、自分自身のAIDは、今もLIVEで続いているんだから。

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