読みました-森絵都『つきのふね』-

森絵都さんの『つきのふね』を読みました。

ネタバレがお嫌な方は閲覧をお控えください。

能動的に選択しなければならない「進路」に直面し、悩む中学生2年生の、さくら。

この作品は、さくらと親友だった梨理と、取り巻きの勝田君、さくらが慕う智さんが過ごした、ほんの一瞬の話。

さくらと梨理は学校の上位カーストの女の子たちに引きずられる形で万引きという小遣い稼ぎをするようになる。

上位カーストの女子たちがエスカレートしていく中、さくらはそのグループを抜けようとするも、足抜け料として無茶な量の万引きを要求される。要求に沿って盗みを働いていたある日、ついに店長に見つかるが、さくらだけが捕まって梨理はその場からさくらを置いて逃げ出してしまう。

この店で働いていた智さんに逃がしてもらい、さくらは無事にグループからも抜けることとなるが、梨理のみがグループに残ることになる。

この日を境に、さくらと梨理の関係はこじれてしまう。


2人の関係の変化を訝しんだ勝田君は、さくら、梨理、智さんの近くを嗅ぎまわり、情報収集に努めるが、決定的な情報は得られない。

さくらは梨理との関係を半ばあきらめ始め、智さんの下で平穏な日々を過ごすことに満足するようになる。

その気持ちを土足で踏み荒らすかのように勝田君も智さんの下へ熱心に付きまとうようになるが、智さんは時を同じくして精神を病んでいき……

みたいな、ヤングアダルト向け(奥付曰くそうらしい)の作品。


思春期の頃って、「絶対」だと思っていた関係が、ちょっとしたこじれとか、どこにでもあるような事件で崩れてしまうこと、あるよね。

でも逆に「もうだめだ!」と思うような関係の崩壊でも「ごめん」ってちょっとした一言で元に戻ったりとかして。


思春期を追体験する意味でも、大人になった今読んでみてよかったなぁと思えた。


それから、2000年を迎える直前、という時代設定。(最も、発行されたのが1998年だから「設定した」というより「その時」という感じだけれど。)


私はノストラダムスの大予言はリアルタイムで体感していない世代だけれど、

確かにあんなに大きな予言で、世界中の大人たちも影響されてしまうような予言だったら、感じやすい思春期の少女たちの話題に出てくることも有り得るかも。

自分もその世代に思春期!だったら、ノストラダムスの大予言に精神揺らされていたのかな。でも結局、ノストラダムスの大予言の鼻を明かすとか、全力で否定しにかかるとか、さくらも梨理もそんな方向には進まなかった。智さんはしっかり影響されて精神を病んでいたけれど。

思春期ってそういう不思議な強さがある気がした。


ちょっとしたきっかけで関係が変わるとか状況が変わるなんて、思春期に限った話じゃないよね、とも。

智さんの精神病がいい方向に向かいそうになったのも、勝田君が吐いたちょっとした嘘がきっかけだった。


大きな世界の流れの中にある、当たり前かつ小さな出来事こそが、私たちの生活を変化させるし、逆に言うと案外、大きな世界の流れが私たちの生活を変化させることなんてないのかもしれないね。


あとあと、なんというか、この小説、「あー、そうだよね」とか、「たしかにこうだったかもしれないね」みたいな、妙な説得力というか。生活していくうえでのリアリティが感じられたなぁって思う。

主人公さくらが見ている家の表札や、スーパーの様子が、私が今手に持っている本に記載された文字を追っているだけなはずなのに脳裏に浮かんでくる感覚があった。

そういうリアルさがヤングアダルト向け、ってことなのかもしれないけれど、リアルっていうことはどんな世代でも(ナウじゃない世代でも)楽しめるでもあるんじゃないかなぁ?など。大きな世界に流されそうになる人も、日常の小さな出来事に翻弄される人も、どんな人でも。


中学生にもなれる、大人の私が追体験もできる、私の世界に小説を引き込むこともできる、面白い作品でした。


(……そういえばさくらが「草木に憧れている」って描写は何の表現だったんだろう……伏線……?心内描写…?)


(2021/9/17)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?