上役に連れていかれたカラオケの帰り

カラオケって言うかスナックだけどね。

いや、行くのはわかっていた。かも。
だって上役の人がよく行くスナックの近くで飲んで、上役の人とその辺りで飲んで。いや、わかってたよ。たぶん100人いたら、80人ぐらいはわかってたと思う。
わかってたけど、わたしは今日、「帰るぞ!」って思ってたの。
それでも帰れなかった。

「行く?」って言われて、
「行きたくありません」って言えなくて、
その場にいる同期に「行く…?」って言った。
それで、カラオケがついてる安いスナックに行ってハイボールを飲んで今、わたしは電車に乗っている。
ああ、終電前に帰れてよかった。ほんとに?

そんな自分が悲しくて、情けなくて、
自分の書いたnoteを見返して、それでも足りないから新しい記事を書いている。

「行きません」って言えるわたしでありたかった。

なんていうのはね、入社してからずっっっっっっと思っているの。
何回思ったかなんて、数えられない。数えていたら私が私でいられなくなっちゃうぐらい。

それでも、こう言ったら角がたつかな、とか、
それでもその場だけは楽しい(行く前と帰り道はしんどい)んだよな、とか、
そういう、自分の中に言い訳をたてているから、
言い訳を立てられちゃうってことはそんなに嫌ってわけでもないのは、
それはそうなんだけどさ。

私のnoteは、わたしが苦しんだ軌跡だ。

なんて。
私の苦しみなんてね。たかがしれてるのよ。
別に不治の病に襲われているわけでもなければ、
どうしようもない悲恋の中に身を置いているわけでもない。
でもね。
いま、本当にわたしは「あーーーなんで早く帰れなかったんだろう」って気持ちにさいなまれていて、
(これは、早く帰りたかったという意味ではなくて、なぜ自己主張ができなかったんだろうという意味)
誰かに吐き出したくてどうしようもないからnoteを見返して、
今新しい記事を書いているの。

て、ことは、noteを書いたわたしは同族なの。

同じような時に同じようなことで苦しんだ仲間なの。
そうでしょ。
仲間がいてよかったね、とも思うし、成長できてないな、とも思う。
苦しいことに変わりはないけど、わたしって名前の仲間がいるから生きていける。
そんなわたしが書いた言葉たちだから、苦しいときのわたしに一番よく刺さるんだ。

これは、わたしが生きていくための、私のための言葉たちなんだ。
いつか、この言葉たちを一笑に付せるぐらいお姉さんになれますように。

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