見出し画像

【生活は患い】紙とペンからいきかえる

昔から文房具が好きだった。

  昔から文房具が好きだった。たとえば高校生の頃、絵はヘタクソなくせに、いっちょ前に水彩色鉛筆やコピックを買い集めてノートに落書きを付けたりやわらかさの異なる鉛筆でスケッチ帳を埋めたりした。もっと昔の話をすれば、デパートの展示販売で見かけたガラスペンのキラキラに捕らわれ、迷子防止に手を繋いでくれていた親を巻き込んで小一時間動かずに見ていた。
 文房具であればなんでも心惹かれるのだけれども、とりわけ紙とペンにはこだわりがあった。紙は少し重めで水分を含んだような指ざわり、色はクリームがかったものがよくて、ペンはガリガリいわない程度に引っ掛かりがあって、それでいて速記に耐えうる程度の滑らかさを欲した。
  きっとそれは、書くことと自分という存在が密接だったからこそ生まれたこだわりなんだと思う。自分の見え方や書字のクセから編み出された、おばあちゃんの知恵袋的な生活のコツだ。
 少しばかりふりかえってみるのも面白かろうて、続けてみよう。

元々メモ魔で、というよりも

 元々メモ魔で、というよりも自分の困りごとの解消から「書くこと」がはじまった。小学生の頃から頭の中がわさわさわさわさ止めどなく思いつきで溢れて蠢いていて、目の前のことに集中することすら困難な状態。学校も塾の授業もじっと聞いていられずに困り果てていた。とりあえず脳みそ以外の場所にことばを移そうと、ちぎったノート紙で内職ばかりしていたのが始まりである。
 その書き写しの大半は、〈散文になりきれない詩の赤ん坊のような単語と文章の羅列〉・ 〈見た事はないのになぜかしっている(という確信がある)架空の世界の断片〉で、これらを整然と並べて人に見せたり自分だけのために記録を付ける行為が、僕にとっての詩や小説、即ち文字をもちいた自分のを伝える方法で声でほんとうの「ことば」だった。

たしか、それも本だったような気がする。

 たしか、それも本だったような気がする。多分できる人のノート術的なものだ。「鉛筆やシャーペンではなく黒のボールペンで板書をとる。誤字脱字をしても、修正テープを使わずに間違いの跡を残す。」そんな知見を中学三年生くらいの時に得た。
 相変わらず手あたり次第に脳からことばを移す作業は習慣化していて、今度は思いつきから書き移しまでのロスが気になるようになっていた。「もっと速くもっとたくさん、もっと跡を残したい」この気持ちに対応できる筆記具は、削る必要も芯が折れる心配もないボールペンで、その頃ちょうどジェットストリームにより低粘度油性ボールペンの一大ブームの最中だった。
 自然と、テストと宿題以外はジェットストリームの多色ボールペンを愛用するようになった。出発点は記憶の定着だとか学習力の向上だとかそんな触れ込みだったはずなのだけれども、成績の方は鳴かず飛ばずのビリッペ。仕方ないね。首の皮一枚の人生も、このころから。
 さて、 紙との本格的な出会いはもう少し後のこととなる。

小さな洋書型ノートは、制服の胸ポケットを型崩れさせた。

 小さな洋書型ノートは、制服の胸ポケットを型崩れさせた。創作の元ネタたちからはじまったのに、中学生になれば部活の連絡事項やどこかで見聞きしたことなど書くことがより増えて、紙きれや生徒手帳のメモ欄には到底収まりきらなくなり、別に小型ノートを持ち歩くようになった。それが、手のひらサイズの小さな洋書型ノートである。
  お気に入りの洋書型ノートは装丁の重厚感と黒鉛で書いたときの音と、なにより赤い栞紐が付いているところに惹かれて相棒になった。1冊目は書き倒して書き倒して、たくさんの紙の切れ端や付箋紙も挟み込んで、だいぶ太っちょになって役目を終えた。2冊目も大体同じだったけれど、ちょっと違ったのは巻末に隠しポケットのような封筒が付いてたこと。これで「本って面白いことできんなぁ」と今に繋がる気付きを得た。
 さらにいうと、洋書型ノートを選んだのは、例に洩れず思春期特有の厨二病罹患者でクロス‼悪魔‼魔術‼カッコイイ‼にどっぷりのめりこんでおり、装飾写本やらゴシック建築、ケルト神話、その他オカルト都市伝説の沼に住み着いていたことに由来する。このころたくさん調べて読んで、ノートに書いて今も読み返せることが、恥ずかしくもあるけれど、自分を成り立たせてる重要な要素だったなと思う。まぁ、それはまた別の話。
 大好きだったノートが廃盤してしまったのは、たしか大学生に上がる頃だったと思う。手頃な大きさと値段、ボールペン筆記が常態化していたので紙の重さ(厚さ)は同じくらいでありながらもっと滑らかな紙質を求めた。
 それを備えていたのが、ミドリのMDノート文庫版無罫であった。もう、5冊目になる。脳内書き移しノートとしては通算7冊目だ。

それでも僕は手帳が続かない。

 要するに、雑記帳歴というわけで、外出時には必ずミドリのMDノート文庫とジェットストリームの多機能ペン1本をカバンに放り込んでいる。ちなみに、数えるのをやめてしまったが、ジェットストリームは軸を何度もダメにして3、4本目だった気がする。最近は、スマホに、充電器にパソコンに本にと家出するかのような物持ち屋さんだ。
 それでも僕は手帳が続かない。なぜだかわからないけれど、スケジュール帳だけは苦手なもので、一冊書き切れたためしがない。
 自分を律する意味も込めて、なんとなく今年の2月あたりから(ちょっと、うんともすんとも謂わない精神状態だったので)、手帳の見直しを始めた。そうして出会ったのが、「バレットジャーナル」という方法。
 昨今は便利になった。自分が知らぬ間に楽しそうなノウハウにあふれていて、検索すればその様子を垣間見ることができる。そして、彼ら彼女らは大抵がおだやかで聴き心地の良いリズムをはらんだ発信者だ。
 同じように、心穏やかに自分なりのスケジュール管理方法が整ってきたので、次はそのはなしがしたい。


「ことば」で遊ぶ人。 エッセイ、作品、公開しています。 会も作りたいです。