【生活は患い】人間の分岐点

 診察日。少しでも気分を明るくするためにお気に入りやちょっと凝った格好をして外に出る。
 その前の朝食(世間的には昼食)の時、IOT家電やスマートハウスなるものの特集がテレビで流れていた。
 母が作った薄焼き卵の乗った大好きなオムライスを咀嚼して考える。
やはり、時代は人間を過去に回帰させようと動いているのではないだろうか。

 僕は自他ともに認める自堕落で、社会不適合者と名乗り、家事も世間が社会と認めるような仕事が出来ない。だからなのか、ここ最近のその手の話題が楽しくて仕方ない。
 古代ローマ人は、労働は奴隷に任せて人間を楽しんだと世界史で習った。
 現代の我々もそれに習っていいと思う。そうすれば奴隷の部分がAI搭載の機械に変り、本当にやりたい仕事を趣味のようにやればいい。
 そんな社会になれば、人間の可能性は無限に広がり、さまざまな職においてやりたい人が集まって成り立てば、機械と人間とが協力して楽しく暮らせるし、職差別も無くなるのではないだろうか。(この部分に関しては、一人一人の思考なので操作することは不可能だが)

 つまり、一億総クリエーター社会とも言われている現代、人間を生物的な「人類」と扱うべきか、「人間」という存在で扱うべきかの分岐点にあるのではないだろうか。

 「十分に発達した科学は魔術と見分けがつかない」アーサー・C・クラークの言葉はしばしば悲観的に捕えられがちだが、
魔術にしてしまえば人間は自分たちに集中できると思う。
 そうする事が、人間を保つ手段だろう。時分でも呆れるくらいに夢見がちな考えだが、電気羊の夢を見る時代が近いからこそ、まぁいいかなと妥協した。
 それにしても今日も寒いなぁ……

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