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術語

 本著は,造語に加えて既存の語についても少し独特な定義をしている。これらを術語と総称して本項に整理する。この目的上,本項は,他項と内容が重複する箇所がかなり生じてくると予想される。ところで,飽く迄も本項は,本文を正しい順序で読み進めた読者がそれでも述語の多さに混乱を催したときに,これを緩和する為の薬としてしたためるつもりであるから,本項だけを読んでそれぞれの述語を知り尽くすということは凡そなかろうし,本著の思想を解り尽くすということはもっとなかろう。読者には是非,ほんらい想定されている用法に準じた上で,本項を便利に使っていただきたい。

  1. 【魔境(マキョウ)】
     現世(ウツシヨ)
    と共依存の関係にある場として導入されるものであり,言われる処のものを仮想してみるための場である。例えば,「富士山は日本で一番高い山である」と言うとき,これが意味するところがあろうと仮想される場である。ラカンのタームで言えば現実界(le Réel)に重なろう。いわゆる言語の仕事は,魔境に何かを思い做す,若しくは幻視することで利得することだと言えるが,我々はつねに言い損ねうる。しかして「言い損ね」を感ずることは現世をより精緻化するために重要なステップであり,魔境はこのために設けられる場である。魔境なき言語はもはや唯のマニュアルであろう。この項は 2. と相互に参照されたし。

  2. 【現世(ウツシヨ)】
     魔境と共依存の関係にある場として導入されるものであり,言うための諸装置や機能(述語や個体がそうである。述定という関係もそうである。)による機構である。いわゆる言語の仕事は,魔境に何かを思い做す,若しくは幻視することで利得することだと言えるが,我々はつねに言い損ねうる。しかしてこの事情は現世をより精緻化するために重要なステップであり,現世に属する諸概念は,何か重大な言い損ねを察したときに得てして改訂を被る。この項は 1. と相互に参照されたし。

  3. 【原象(ゲンショウ)】
     簡潔に言えば,まさに今アクチュアルに知覚されている限りの世界だと言ってよろしい。またはそれが知覚されることを指して用いる。それではかような造語をせずに知覚と言えばよかろうと思われるかも知れないが,本著の思想を表現するのにあたって知覚という語を用いることには伝統的な負荷を感じた為,わざわざ造語をした。結果的に,この原象という語は字義的にもより本著の思想に嵌合するものになったとおもう。さて,今これを読まれているあなたにも,必然に,この文の光学的(若しくは,誰かの音読によってこれを読まれているのであればその音の)情報が,あなたの既有知識において原象として現れているはずである。原象という語を用いれば,1. は,『魔境は原象にゆらい(与えた処)を与えて,現世は原象に座標(与えられた処)を与えるものである』と言い換えられる。知性とは,仮想された魔境と仮構された現世というこの二つの場によって,原象を顕現させる呪術である。ところで,本著は(少なくとも人が)マイナス内包を直観できるとは認めていないため,原象はつねに現世と接続されて受け取られるものであると言わざるをえない。

  4. 【幽世(カクリヨ)】
     現世の体系化にあたって,そこに馴染まない表象が抛擲される場。知性は,いわゆる夢幻を此処に定位させる。この場が設けられることによって,現世の改訂は緩慢になり,認知的省力が実現されていると考える。

  5. 【アバター】
     或る静的な信念体系をもった特殊で理想的な人格として導入される観念である。必然かつ恒に論壇の主役であり,いわゆる思惟・思考は,アバター達のふるまいを鳥瞰することによって成るものだと考えられる。この定義上,或る一人が複数個が演じうるし,数人が一個を演じうる。

  6. 【コミュニティ】
     5. における「数人が一個を演じ」るアバターを特にそう呼ぶ。

  7. 【呪い(マジナイ)】
     呪いと言うと,スピリチュアル若しくはオカルティックな印象を受ける方もおられるかも知れないが,本著は,如何にして存立するのかが解明されていないものを呪い(マジナイ)と総称する。この「もの」が特に技術的であれば呪術,法則的であれば呪法などと呼ぶこともある。本著ではこちらの特殊的呼称が多かろう。さて,根拠は無限に問えないから,循環を一種のドグマと捉える本著の立場からは呪いの存在は必然に認めざるをえまい。本著の目的は,言語という呪術の構造を明かしてみせることにある。

  8. 【代象(ダイショウ)】
     原象のことを,本著は「まさに今アクチュアルに知覚されている限りの世界だと言ってよろしい」と書いた。そこで代象とは,かつて原象したと認められるものが思い出として再び原象すること,またはしたものをそう呼ぶのである。いわゆる「思い出」のようなものであるが,「思い出」という語はその対象がスクリプトに限定されてしまうような伝統的な負荷を感じるし,さらに原象との語義的関係もより適当になろうと考え,かような造語をした。さて,例えば,或る景色を「思い出」してみたとき,そこに何らかの「景色」が原象するはずである。このとき原象している「景色」と,それが現に原象した当時の景色とが別であることは容易に認められるはずである。少なくとも本著は,「思い出」のゆらいとなった原象と,その「思い出」としての原象とを区別する。とは言っても,いずれも原象だということは認めた上で,特に後者を代象とも呼ぶことによって区別する。つまり原象は代象を包摂する概念である。ところで,思惟や思考にあたっては必ずこの代象がつきまとうことになる。『あの景色は彼処で見たし夕陽が綺麗であったから,大体7時頃のことであったろう』と思惟するのにあたって,これに係るさまざまな代象を用いることになろうが,凡ゆる思惟・思考がそうである。というのも,思惟・思考は,なんの代象も含まない純粋な原象のみによっては不可能な営みだからであり,それは或る代象や,代象から得られる理法を原象させることで見えてくるものだからである(複数の理法からも思惟・思考は可能であろうが,やはりかような理法も代象から得られるのである)。

  9. 【個体】
     述語論理学で言うところのそれである。すなわち,述定の許で見るしかないものである。

  10. 【属性】
     いわゆる属性の他に,つまり単項述語に限らず,多項述語一般を指すことにする。つまり,とうぜん『a は日本人である』という文において,日本人であることは a の属性であると言うし,さらに『b と c は結婚している』において,結婚していることはペア b,c の属性であるとも言う。

  11. 【理法】
     属性間の条件関係のことである。

  12. 【事象】
     属性と個体の結合として記述されるもの(10. の例における『a は日本人である』や『b と c は結婚している』は,a~c はいずれも個体定項なので事象)であり,原象として現れるものである。理法これ自体は理念的なものなので原象としては現れえない。原象として現れるものはつねに事象でしかありえない。

  13. 【世界】
     互いに合一の関係にある現世と魔境との総称である。

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