笑いのしくみ

 是正衝動とこれへの制動という心的過程に惹起される生理的反応を,われわれは「笑い」と呼んできたのではあるまいか。

 ここで,是正衝動とは,或る(もちろんアニマシーな)信念体系に対して,これを是正してやりたいと思う衝動のことであると定義しよう。

 例えば,"Ushers will eat latecomers." は大変な様態であるから是正衝動を惹き起こすが,然るにこれが劇場内に堂々と掲げられた看板の文言であれば,"Ushers will seat latecomers." の誤字・脱字であると(俯瞰によって)容易にわかり,よって制動が生じる筈である。しかして,かような情況はしばしば笑いを惹起しよう。

 ところで,いわゆる笑いのツボが同じようであったり,面白さを共有できる相手に親近感をおぼえることがあろうとおもうが,本項の説によれば,この現象を次のように説明できる。

 すなわち,同じ事態を笑うということは,その事態について,是正衝動が惹起された上で,わざわざ是正すべき程のことでもない(あるいは是正しない方がよい)と俯瞰・理性によって判じたということであるから,(例えば雑話を以て趣味の合致を確認するよりも)得てして高い情報量と信頼度を以て価値観や倫理観の合致を,当事者たちに実感させる筈である。

 もちろん,笑いを共有する当事者間において,親近感をおぼえてもらうメリットが明確であったり,笑いが不自然であったり等の文脈によっては,笑いの共有よりも雑話の方が高い親近感を与えたりおぼえるということはありうる。このような事態を,本項は否定しない。

 とはいえ,その上で,ユーモアはコミュニティに対して警邏的な価値をじゅうぶんに持ちうるとおもう。

 ところで,〝劇でリアリスティックな怪獣を観る様態は反例である。われわれにとって怪獣という存在は是正衝動を掻き立てる筈であり,さらにそれが劇であるというコンテクストは,この衝動を制動する筈である。しかるにこれを笑えないという人は大勢いる筈であろう〟旨の反論があるかも知れない。

 かような反論に説得力を感ずる者は,先述した是正衝動の定義をここに再掲するから,もう一度よく読んでいただきたい。

 「是正衝動とは,或る(もちろんアニマシーな)信念体系に対して,これを是正してやりたいと思う衝動のことである」。「リアリスティックな怪獣」に,確かに〝これはおかしい〟と感じたとしても,それはおそらく殆どの場合,アニマシーな信念体系に対するものではなかろうとおもう。なぜなら,もちろんわれわれは理性によって,劇に作者があることを認められようが,かような俯瞰や理性を通さずに,〝この劇は作者が真実だと認めている世界をそのまま反映したものだ〟と信じながら劇を観る者は,おそらく殆どいない(劇で表現されるリアリスティックな事態に,アニマシーを感ずる者はひじょうに少ない)筈なのであるから。

 いわゆるダサい服を着る人を笑う事態も、或るゲシタルト G₁ においては不調を感じるのにも拘らず,G₁ のメタなゲシタルト G₂ においては正調な様態だと判ぜられることに惹起される。一般に,笑いは,Gn の不調が Gn+₁ からの俯瞰によって正調だと判ぜられることの緊張感に因るのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?